司令部にはあせりが生まれていた。鎮海を出て函館方面へ向かうべきと具申する幕僚もいた。ついに東郷は「28日になっても敵艦隊が対馬海峡に現れないときには津軽海峡方面に向かう」ことを決意する。

 26日正午、大本営に「今朝、バルチック艦隊の輸送船が上海に入った」との至急電が届いた。これも上海と長崎とを結ぶ国際海底ケーブルなど、張り巡らせた情報網のおかげである。かりに太平洋を迂回するのであれば、石炭供給の輸送船が必要になる。つまりバルチック艦隊が、東シナ海を北上して対馬海峡を通る公算が大きくなったのである。

 バルチック艦隊は北進中、海戦で足手まといになる輸送船の大半を上海とサイゴンへ向かわせた。が、シベリア鉄道によるウラジオストックへの補給がしばらく期待できないとの本国からの電報により、すべてを切り離すことは避けた。 これにより艦隊の主力艦は戦艦8隻、巡洋艦(装甲・1等・2等)9隻、装甲海防艦3隻、駆逐艦9隻の計29隻。このほかに仮装巡洋艦、工作船各1隻、輸送船3隻、曳船2隻、病院船2隻が加わり、全体では38隻を数えた。 艦隊は2列縦陣で北上を続け、日本海へと迫っていた。

ロシア艦隊の動静を探る目的で、日本近海に多くの偵察船を出撃させていた。九州西方にて北上中のバルチック艦隊を発見した仮装巡洋艦「信濃」。