「小説が筆一本で食べていくのは奇跡みたいなもの」。芥川賞作家・柳美里氏が、最新刊『人生にはやらなくていいことがある』(ベスト新書)で振り返った過去とは? 作家として、人生の先輩として、瀬戸内寂聴氏が柳美里氏の「作家生活30周年」を記念した特別寄稿を公開。

あの部屋で見たもの

 

 柳美里さんと初めて逢ったとき、何てきれいな人だろうと、ため息がでた。自分が不器量なので、私は男でも女でも美男美女に憧れる。ちょっと同座してわかったのは、その美少女(すでにれっきとした作家になっていた)と呼ぶにはふさわしくない小説の実力者だったが、すごく自由でわがままで、自分のしたいようにしかしないことを、初対面の親より年長の私にも、遠慮なく実演した。
 こちらが好きになったことはすぐ解るらしく、柳さんの目にふとやさしさが滲んできた。その日以来、私は柳さんと仲良しになった。
 小説は出る度にみんな読んで、その天性の才能に感動していた。私小説の作品から知らされた生活の内容を知るほど、ダイナミックな暮らしぶりに拍手を送っていた。小説家は不良で、不道徳で、好色であるべきで、他の何の職業にもつけない不器用さにしばられているべきである。
 16歳から同棲した師匠で愛人の東由多加氏との情交も、その別れも、似たようなことをしてきた私には、隅から隅まで理解できた。

 その後、柳さんが既婚の男性との間に男の子を産んだとき、私は自分でデパートに出かけ、赤ちゃん用の銀のスプーンを選びお祝いに送った。
 東さんがガンになったとき、看病する情人には不自由しなかったらしいが、高価な療養費は、柳さん一人で、書きに書いて造りだしていた。
 東さんが亡くなった後、まもなく私は初めて柳さんのマンションに招かれた。赤ちゃんを見てくれという名目だったが、広いそのマンションの部屋の壁ぎわの一室にはベッドだけがあり、東さんの病室だと説明された。
「まだ、ここに居るような気がして、何一つ片づけられない」
 と静かな声でつぶやいた。
 赤ちゃんはころころ肥って可愛らしい笑顔を見せていた。
「この子が中学に上がるまでは、どうしても死ねない」
 と、東さんは口癖に言っていたとか。
 その後、鎌倉へ移り、今は福島県南相馬市へ転居している。災害地の人の暮らしに無関心でいられず、暮らしごと引っ越してゆく柳美里は、小説家として何より必要な、熱い心を持ち続けている見事な人間だと尊敬する。