イラスト/フォトライブラリー

江戸の深川仲町の芸人・富本繁太夫(とみもとしげたゆう)が、文政十一年(1828)から現在の東北地方各地を放浪したときの日記『筆満可勢(ふでまかせ)』に、岩手県玉川村巻堀の金精大明神の縁起が書き留められている。それによると――

村の庄屋夫婦のひとり娘は美人で、近郷の男であこがれない者はなかった。夫婦には男子がなかったので、娘が十六歳になったとき、婿(むこ)を取った。ところが婚礼の夜、初夜の床で婿は急死した。それ以来、次々と婿を取ったが、みな夜中に出奔するか、怪我をするか、死亡するかである。こうしたことが続いたため、みな娘を怖がり、もはや婿になろうという男はいなくなった。夫婦が娘に初夜の様子をたずねたが、答えは要領を得ない。そこで人に頼み、出奔した婿に理由をたずねてもらった。男はこう語った。

「陰門のなかに鬼の牙のようなものがあって、入れた魔羅(まら)を喰いちぎるのです。うすうす床入りに不都合なことがあるという噂は聞いていたので、おらはあらかじめ指で陰門の外も中もあらため、やはりおかしいと思ったので、房事をせずに逃げ出したのです」

このことを聞いて、両親が嘆き悲しんだのはいうまでもない。ところが、隣村の若者が娘の噂は承知の上で、婿になりたいと申し出てきた。両親と娘はともに喜び、すぐさま婚礼がおこなわれた。その夜、男は娘と布団に横たわるや、かねて用意しておいた銅製の男根をそっと取り出した。自分の魔羅を挿入するように見せかけておいて、その銅製男根をぐいと娘の陰門に突っ込んだ。すると、ガリガリとかじるような音がする。すかさず銅製男根をぐいとねじるや、ばらばらと牙のようなものが砕け、流れ出てきた。そうしておいて、男があらためて娘と交わると、なんの支障もなく性行為ができた。以来、庄屋は神社を造営し、婿がくふうした銅製男根を金精大明神として祀り、あがめたという。

いっぽう、『耳袋』には津軽藩士が語ったという、現在の青森県平内村狩場沢の金精神の縁起が記されているが、内容は同工異曲である。

これが金精神信仰の始まりという。本来は東北地方の民間信仰だったものが、江戸の遊里の信仰に取り入れられたのだろうか。