東京裁判を題材にしたNHKスペシャル「ドラマ 東京裁判~人は戦争を裁けるか~」が12月12日より4夜連続で放送。
それに合わせて、「米国人弁護士が『断罪』東京裁判という茶番」を12月16日に刊行予定。来日から40年日本を愛し、知り尽くしたケント・ギルバート氏が米国人の視点からみた東京裁判について論じていく。

 日本民族に贖罪意識を植え付ける柱となったのが、東京裁判として知られる、極東国際軍事裁判だった。
 第二次世界大戦以前には、一国の指導層を戦争行為の犯罪人として、訴追した前例はなかったし、国際法のなかにも、そのような条文は存在していなかった。

靖国神社にて 撮影・末松正義

 東京裁判も、『ポツダム宣言』に明らかに違反するものだった。『ポツダム宣言』は、「我々の捕虜を虐待せる者を含む、一切の戦争犯罪者に対して、厳格なる裁判が行われるべし」と、定めているが、これは非戦闘員を殺傷したり、捕虜を虐待することを意味するものだった。
 東京裁判で、被告たちは「平和に対する罪」と、「人道に対する罪」によって裁かれたが、ニュルンベルク裁判が開かれるまで、「平和に対する罪」などという概念すら、存在していなかった。

 東京裁判は、「裁判」という名にまったく価しない、ペテンだった。
 日本はアジアを侵略した罪によって、裁かれた。ところが、この裁判劇が進められていたあいだ、イギリス、オランダ、フランスは、マレー半島、インドネシア、ベトナムを再び植民地として支配するために、侵略戦争を戦っていた。侵略を継続しようとしたのは、戦勝国の側だった。このこと一つをとってみても、連合国のペテンは明白だった。

 東京裁判では、日本が犯したとされる悪事のみが、一方的に訴追され、連合国が犯した戦争犯罪には、いっさい触れることが許されなかった。
 東京大空襲によって一夜のうちに十万人以上、広島、長崎に原爆を投下して、国際法で殺傷を禁じられている、非戦闘員と、民間人を、大量に殺戮したことだけをとっても、アメリカが、重大な戦争犯罪を犯したことは明白だ。

 マッカーサーの側近で、GHQの二人の最高幹部の一人だったウィロビー少将は、オランダのレーリング判事に、「この裁判は、有史このかた、最悪の偽善だ。このようなひどい裁判が行われる以上、戦争に敗れれば、戦犯として縛り首になるなら、自分の息子が軍務につくことは、許さない」と、語っている。
 東京裁判で裁判長をつとめた、オーストラリアのウィリアム・ウェッブは、裁判中に本国にいた妻のベアトリスに、「こんな裁判につきあわされて、嫌になった」と、私信を送っている。

 日米戦争をもたらしたのは、一九四五年四月に急死したルーズベルト大統領だった。
ルーズベルト大統領こそが、「平和に対する罪」によって、裁かれるべきだった。
 インドのパル判事は、『パル判決書』のなかで、東京裁判を「復讐の欲望を満たすためだけに、法律的手腕を踏んでいるかのように、装ったものでしかない」と、断定している。

◆存在しない法による一方的な裁き

 マッカーサーは、日本進駐後、直ちに三十九人の日本の指導者たちを、戦争犯罪人容疑者として指名し逮捕した。問われたのは、「平和に対する罪」と、「人道に対する罪」だった。
「平和に対する罪」と、「人道に対する罪」は、逮捕の直前まで、世界にそんな罪は存在すらしていなかった。法律というものは、それまでなかった法律をつくり、前に遡のぼって人を逮捕したりはできない、という鉄則―法律不遡及の原則―がある。 
 たとえば、いま急に「東京都内で酒を飲んでいる者は、懲役十年に処する」という、法律ができて、過去に遡って適用し捕えて罰するとなったら、これはたいへんなことだ。

 それと同じことを、米軍は日本に対して行った。「平和に対する罪」、「人道に対する罪」と聞いたとき、逮捕された人たちも驚き、日本政府も、それが何を意味するものなのか、まったく理解できなかった。
 翌年五月三日に、三十九人のいわゆるA級戦犯容疑者が、二十八人に絞り込まれ、正式に被告とした東京裁判がはじまった。裁判は二年半にわたって行われた。東京裁判は、まったく違法な裁判である。なぜなら、戦時国際法には、国家の指導者を裁くという発想自体が、まったくないからである。 

 東京裁判が、いかにいい加減で不法なものであったかは、明白だ。
 まず、日本がはたらいたとされる、悪事のみが裁かれたことだ。
 連合国側が行った東京大空襲(昭和二十年三月十日に、十万人の老若男女が殺された)や、広島・長崎への原爆投下による無辜の民の大虐殺は、それ自体が戦争犯罪だ。
 米空軍は最初、九千メートル付近の高高度から軍事工場や、軍港を狙う昼間爆撃を行っていた。これを、一千五百~三千メートル未満の低空から、焼夷弾を用いて都市を丸ごと焼き払うという、無差別の夜間爆撃へと方針を変更したのは、カーチス・ルメイ空軍大将である。彼は後に、「もし、戦争に敗れていたら私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸運なことに、われわれは勝者になった」と、語っている。自分が戦争犯罪を行っている意識、すなわち「革新的故意」が、明確にあったのだ。
   ところが、連合国側の戦争犯罪は、すべて不問に付され、日本が行ったとされる、非道のみが裁かれたのである。
 そして、東京裁判では、七人の国家指導者が、絞首刑に処せられるという、「私刑(リンチ)」が行われた。