第30回 
矛盾の活用


 

ジレンマを抱えて生きる

 好きなことをするためには家族の理解が必要、と言いながら、家族の絆を期待している矛盾について前回書いた。今回は、この「矛盾」というものに焦点を当ててみよう。
 若いうちは苦労した方が良い、なんて台詞をよく耳にするが、年を取ってしまうとできなくなることは数多い。若者はうすうすこれを知っている。「もう少し若ければ」と言って尻込みする老人たちを大勢見ているから、できるのは今のうちだ、と勘づいているのだ。
 長生きはしたいけれど、年寄りにはなりたくない、なども大いなる矛盾である。同様に、子供に対しても、早く成長をしてほしいと願いつつ、可愛いままでいてほしい、と思っていたりする。
 いつまでも子供と一緒に楽しく暮らしたい、といった人生のイメージを持っているのに、自分の親と同居は嫌だ、と考える。矛盾しているというよりも、虫が良いだけか。
 最初に挙げた例のように、結婚はしたいけれど、拘束されたくない、という矛盾もある。以前は、結婚しないと一人前と認めてもらえなかったが、今は独身者が増えたから、さほど目立たない。だったら、自分の好きなことができる人生を選択しよう、という人は増えているだろう。ようするに、結婚による拘束感を嫌っているのである。これは、子供や家族についても同じで、そういうものに縛られたくない、と考える人が明らかに増えている。
 悪くないと思う。いろいろな生き方が自由に選択できるようになったことは、とりあえず喜ばしいことだ、と僕は素直に受け止めている。
 少子化を心配する人もいるけれど、僕は大賛成である。人間が多すぎる。半分くらいにしてもらいたい。それがあらゆる環境破壊を遅くするし、またエネルギィ問題も解決するだろう。きっと平和にもなるのでは、と期待している。
 でも、人数が減ったら寂しいじゃん、と感じる人もいるはず。まあ、そうかもしれない。でも僕は、寂しいのも大好きなのである。いけませんでしたか?

 

矛盾を活かす生き方

 ここでいう矛盾とは、両立しない選択肢を抱えている状態のことだ。なんとか両立させよう、と考えるのは甘い。両立させられるようなキャッチを謳って、商売をする人がいるけれど、両立しない道理があれば、それは無駄な考えといえる。
 両立とは、ほとんどの場合、どちらつかず、中途半端になるだけである。そういう選択もあるけれど、もし、自分はとにかくとことんやってみたい、という人は、まずは片方に専念すべきだろう。
 ただ、ここでいう選択とは、思考の選択ではない。行動の選択である。行動は片方しかできない。それは肉体が一つしかないからだ。しかし、思考はそうではない。思考は矛盾を矛盾のまま取り扱うことができる。人間の頭脳はそれだけの容量を有している。集中できない、という人もいるかもしれないが、そういう頭もある、というだけのことだ。
 僕は、そもそも、集中した思考というものに、あまり価値を見出していない。頭は集中しない方が良い。いろいろ考える、つぎつぎ発想が飛ぶ方が好ましい、と感じている。
 頭の中では矛盾する道を同時に歩くことが可能だ。実際に一方を歩いているときだって、架空の道を考えることができる。今はできないけれど、いつかそちらへ行けるかもしれない。矛盾するからといって、思考まで切り捨てるのはもったいない。
 矛盾を活かす、というとやや大袈裟かもしれないが、僕はほぼこのとおりに意識している。今は矛盾しているからできない。しかし、いつまでも矛盾のままかどうかはわからない。あるとき、矛盾が解消するかもしれない。そうなったときに、ではそちらもやってみよう、と即座に進めるように頭の片隅にいつもその道を残しておくことが大事だと思う。
 これまでに、何度もそういった思いをした。簡単な言葉でいうと、「潔く諦めない」ということ。

 

歳をとりました

 これを書いている今日は、僕の誕生日だった。奥様(あえて敬称)が、好きなものを言えというので、夕食はタコスになった(半分はタコライス)。あと、お昼は二百キロほどドライブに出かけて、スタバのカプチーノを飲んできた。
 若いときには、五十歳まで生きるのがせいぜいだろうと考えて、人生計画を練ったため、今はロスタイムみたいなもの。まさに余生だ。長生きしたいとは思っていないので、三十五年以上、病院に一度も行っていないし、薬の一錠も飲んでいない。生に執着しないから健康、という大いなる矛盾かもしれない。

 

ここが工作室。現在は、ジャイロモノレールの実験を行っている。一番奥にイギリス製の旋盤がある。