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現代、「密通」を不倫と解釈している人が多いが、江戸時代においてはその定義は厳格で、正式な婚姻関係にない男女の性行為はすべて密通だった。しかも、密通に対する処罰はきびしかった。多くの場合、死刑になった。ただし、これはあくまで建前である。密通を町奉行所に訴え出る人はほとんどいなかった。そのため、多くの男女は平気で密通を享楽していた。『江戸真砂六十帖』に、杓子定規に密通を訴えた結末が記されている。

鉄砲町で屋根職人の親方をしている半右衛門には、十八歳になる娘がいた。なかなかの美人で、気立てもよい。半右衛門夫婦は娘に近所の男を寄せ付けず、良縁をさがしていた。ところが、いつしか弟子のひとりと娘ができてしまった。半右衛門夫婦の目を盗んで忍び会っていたが、そのうち妊娠してしまった。だんだん腹部が大きくなってくる。窮地に追い込まれたふたりは駆落ちして、行方知れずになった。半右衛門は人を使って、ふたりの行方を追い、ついに芝のあたりに隠れ住んでいるのを見つけた。
「主人を裏切り、大切な娘を傷物にしやがって」
半右衛門は怒りを抑えきれず、町奉行所に訴え出た。

当時の密通に関する刑罰を杓子定規に適用すると、男が主人の娘と密通した場合、
男→中追放(関東地方はじめ主要な都市には住めない)
女→手鎖をかけ、親元あずけ
である。

ふたりは奉行所の白洲に引き据えられたが、弟子は不届き者として縄をかけられる。白洲の上に座らされていた娘が急に苦しみ出した。精神的な動揺のあまり産気づいたのだ。思いがけない事態にみな、あわてるだけで、なすすべがない。娘はその場で流産してしまい、白洲の上に鮮血が流れ出た。このため、裁きは中止となった。

白洲が血でけがれたとして、半右衛門は奉行所から、地面を掘りさげて土と砂利をすべて取り換えるよう命じられた。その費用は二十両を超えた。また、娘は弟子と別れたくないと言い張る。けっきょく、半右衛門は弟子を婿に迎え、祝言をあげた。人々はこの話を聞き、
「カッとなってお奉行所に訴えたりするからだ。あまりに考えが浅い」
と、半右衛門の短慮を笑ったという。

見てはいけないと言われるとよけいに見たくなるという、厄介な人間心理がある。男女のあいだにも似たような心理がある。禁じられた関係であればあるほど、男と女の恋愛感情は燃えあがる。とくに江戸時代は身分の差もあった。親方が禁じれば禁じるほど、娘と弟子は燃えあがったといえよう。