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 事件、風俗、お金のあれこれ……何かが起きるとき、「性事情」がからむことが少なくない。それは現代に限ったことではなかった。『江戸の性事情』(ベスト新書)を上梓した永井義男氏による寄稿、「江戸のストーカー事件」。

 近年、いったんは離婚した夫が、別れた妻に復縁を迫ってストーカー行為を繰り返し、あげくは殺害するという悲惨な事件がしばしば起きている。恋人同士でも別れたあと男のほうがしつこくつきまとい、最後は悲惨な結末になることが少なくない。現代の男はめめしくなっているのだろうか。いや、江戸時代でも似たような事件は起きていた。

 保九年(1838)七月二十三日、小石川の牛天神近くにある銭湯の前で、おもんという十七歳の女が刀で斬りつけられた。そもそも、おもんは本郷元町に住む三井庄三郎という下級幕臣の妻だった。庄三郎は母親と妻の三人暮らしだったが生活に窮し、ついにはおもんを離縁する決意をした。もとより本意ではない。そのため、
「やむをえず、そなたを離縁するのじゃ。そのうち金策ができて母上を養うことができるようになれば、必ずそなたを呼び戻すからな」
と、念を押した。六月二十三日、庄三郎はおもんを離縁し、母を連れて本郷元町を立ち退いた。

 その後、おもんは牛天神近くに住む水菓子(果物)屋の亭主に嫁いだ。これを知って、庄三郎はおもんを恨み、銭湯から出てくるところを待ち受けて斬りつけたのだ。悲鳴をあげて逃げる女を、めったやたらに斬りつける。ついに、おもんは血まみれになって倒れ伏した。庄三郎は女を仕留めたと思ったのであろう、そのまま立ち去った。町内の者たちが集まり、外科医を呼んで応急手当てをさせた。全身の切り傷は八ヵ所におよび、手の指は二、三本がちぎれかかっていた。医者は治療を終え、
「なまくら刀だったようじゃな。傷はさほど深くはない。切れ味のよい刀だったら、こうはいかなかったろうがな。このぶんでは、命に別状はあるまい」
と、診立てた。

 事件から二日後の二十五日、庄三郎は中山道浦和宿の松葉屋という旅籠屋に泊まり、その夜、自殺した。

『事々録』に拠ったが、武士が、武器も持たぬ女に一方的に斬りつけ、しかも八ヵ所も斬りながら、致命傷をあたえることができなかった。当時の武士がろくに刀の使い方も知らなかったことがわかる。三井庄三郎は妻を斬ったとき、おそらく生まれて初めて刀を抜いたのであろう。それどころか、生まれてこのかた剣術の稽古もしたことがなかったに違いない。