<第8回>

11月×日【仮装パーティー 画像】

ハロウィンが嫌いだ。

数年前のハロウィンの日、タバコを買おうと上野駅近くのコンビニに寄ったら、そこの中国人店員におもいっきりタメ口で「ソレ、ナンノ仮装シテンノ?」と尋ねられた。
しかし、あろうことか僕はそのとき、なんの仮装もしておらず、ただただ純然と私服だったのである。

たしかにそのとき僕が着ていたネルシャツには醤油のシミや菓子の食べカスなどが付着していたため、「小さい子がいる家の絨毯」の仮装をしていると捉えられてもしかたがなかった。たしかにそのとき僕は変に小さいマスクを着用していたため、「外出時のマイケルジャクソン」の仮装をしていると思われてもしかたなかった。

そう、僕はファッションセンスにひどく自信のない人間だ。
知らない外国人に私服を仮装だと勘違いされる。ファッションセンスがないことを見抜かれたのも同然である。そのことがむやみに恥ずかしく、顔を真っ赤にしてコンビニを飛び出した。
その日から、ハロウィンが大嫌いである。


話は変わって、今日、友人の結婚式があった。
その友人の結婚式の司会や構成をお願いされたわけなのだが、一か月前、式のドレスコードを決める際に僕は迷いなくこう提案した。

「仮装パーティーにしよう」

ハロウィンが嫌いなくせに、なぜ仮装パーティー?と思われるだろうが、そこにはある思惑が存在した。

その結婚式は会場が原宿にあるイベントスペースだった。「原宿の結婚式でのオシャレ」、それは僕にとって想像の範疇を越えるものである。最先端のジャケットやドレスに身を包む列席者のなか、ひとり田舎臭いリクルートスーツを着て、引きつり笑いで式場の片隅に佇んでいる自分が容易に頭に浮かぶ。嫌だ、ダサいことが、バレたくない。

だったら最初から、仮装パーティーにしてしまおう。葉を隠すなら、森。みんなが仮装していれば、誰がオシャレで誰がダサいかなど、わかりゃしない。
そのような思いがあっての、提案であった。

かくしてその結婚式のドレスコードは「仮装」となった。
僕は司会にふさわしい仮装を考えるべく「仮装パーティー 画像」でグーグル検索を行い、海外の仮装パーティーの写真からなにか参考にできるものはないかと調べはじめた。フリッカーやインスタグラムを中心に漁っていく。

そして、大変なことに気がついてしまった。

「仮装にも、オシャレなのと、ダサいのとがある!」

たとえば、フリッカーで見つけた、とあるイケイケのアメリカ人たちの仮装パーティー。
見るからに「週末はバドワイザー片手に泡風呂に入っていそう」「暇さえあれば気の合う仲間とダーツバーに行っていそう」「性体験を14歳のときに視聴覚室とかで済ませていそう」なリア充丸出しの彼らは、仮装のセンスも抜群である。バッドマンやマリリン・モンロー、キックアスにセクシーな豹。だれもが完璧に仮装し、キラキラと輝いている。

一方の、全然イケてないアメリカ人たち。
見るからに「週末はプリングルス片手にネットゲームばかりやっていそう」「暇さえあればエアガンで隣の家の犬を撃っていそう」「性体験はおろか、まだ歯の矯正も済ませていなさそう」な彼らの仮装は、もう見るも無残である。
四捨五入するとホームレスにしか見えないゾンビや小汚いパンダ、顔がドロドロのマリリン・マンソンに手術着を着ただけのもう仮装なのか入院中の病院を抜け出してきたのかよく分からない奴。散々である。

おそろしい。
ファッションセンスというのは、仮装であっても漏れ出てしまうものなのか。
僕は頭を抱えた。一体、何の仮装をすればいいのだろう。

そして、今日。

僕は「肝臓」の仮装をして、式に臨んだ。

多くを語りたくはない。ひとつ言えることは、考えに考えすぎてもう「正解の仮装」が何なのかわからなくなっていた、ということだ。

そしてもうひとつ言えることは、頭に赤黒くて生々しいフォルムの肝臓のマスクをかぶった僕に、式の間、話しかける者は誰もいなかったということだ。

※右から二番目が肝臓の僕だ

※ちなみに左にいるのが、私と一緒にコントをやっているミラクルパッションズのメンバー、伴(ダライラマの仮装)と畑中(びんぼっちゃまの仮装)だ。12月にこのミラクルパッションズでコントLIVEをやるので是非遊びにきてほしい。詳しくはhttp://mp-s.net/まで。あからさまに宣伝をねじ込んでみた。

 


*本連載は、毎週水曜日に更新予定です。