2015年、流行語となった「ミニマリスト」「ミニマリズム」。モノをなるべく持たず、シンプルに生きるという方法が、今、注目を集めています。
部屋を片付け、モノを捨て、減らす。きれいになった部屋で、さて、次は何を減らそう……?
ミニマリスト・沼畑直樹さんの「埃(こほり)のミニマリズム」を紹介します。
 

習慣を創る。~“埃”のミニマリズム~

私はハウスダストのアレルギーがあり、薬で抑えている。
一度、学校の合宿で埃の酷い宿に行ったときは、鼻水が信じられないほど出た。
にも関わらず、自分の部屋の埃には常に無頓着だった。

掃除機はかける。
だけど、床拭きは妻がやっているのを見ていた。
「床拭きなんて、意味があるのだろうか……掃除機でいいじゃないか」と思っていた。

年の一度の大掃除のときくらいは、雑巾でたまった埃を拭く。
冷蔵庫の上、窓枠、テレビの裏……。

すぐに雑巾は汚れて、捨てたくなる。
触りたくない。
嫌だ。掃除嫌。

 

そんな私に革命が起こったのは、ブログの記録から推測して2015年3月ごろ。
床の拭き掃除を日課にしたのだ。

ブログによると、「習慣」について考えていたからだという。
毎日やることを決める。
今日は何をしようとかはあまり考えず、ただ習慣通りに毎日動くということだ。
その日課に、床掃除を入れた。
お寺の掃除にヒントを得たのかもしれない。
とにかく、はじめた。

最初は、雑巾がすぐに汚れた。
これが嫌。
汚れるたびに、水で流す。
絞る。
拭く。

楽しいものじゃない。
でも、少し修行のような感じがして、自分をいじめる感じが楽しくもある。

翌日、また拭いた。

すると。
それが革命だった。

雑巾が汚れない。

主婦のみなさんならすでに知っている当たり前のことに、気づき愕然とした。
「毎日やればいいのか」
40年間生きて、やっと気づくとは。

拭くと満足。
というのが今までの心情だった。
あー、きれいになった。良かった。というのが拭いたあとの気持ちで、翌日もきれいなので嬉しい。
きれいだな、拭く必要がないな。楽だな。
となる。

違うのだ。
全然違う。
誇りがあるかどうかなんて、確かめるものではないのだ。
とにかく、毎日拭く。
それを続けていると、雑巾は汚れない。

それに気づき、少しずつ拭く面積を増やしていった。
誇りが溜まっている冷蔵庫の上、窓枠、ランプの傘、テレビの裏…。
嫌なところへ、1日1箇所くらいのペースで侵入していく。
しばらくは雑巾が汚れたが、あるころから、本当に雑巾が汚れなくなった。
拭いたところを次の日も拭くので、埃を拭いたという感覚さえない。
気づくと、埃のミニマル化に、成功していた。

床を拭くというのは、大昔から木造建築で行われてきたことだが、現代文明が生んだ掃除機でも叶わない利点がある。
掃除機は埃は吸うが、空中に吹き上げる力もすごいからだ。
空中に埃、ダニの糞、花粉、カビは残っていて、翌日になると同じように床の上の埃が溜まっている。
水拭きをしてから掃除機をかけるなら効果的らしいが、現実的ではない。

雑巾で拭く場合はどうだろうか。
まず、ある程度拭くと、水で流し、絞る。
その際に、拭き取った汚れは水道で流れ落ちる。
空中に舞い上がることはない。
拭いて拭いて、床はやがてすっきり、つるつるになる。
足裏には、あまり埃がつかない。

掃除機と違って、やればやるほど埃は少なくなる。
家全体の埃量が、減っていくのだ。
だから、毎日やっていると、毎朝あっという間に、拭き掃除は終わる。
ささっ。

「家の埃を、減らそう。最小限まで」
と、今は毎日思い、拭き掃除を続けている。
習慣化することで、拭き掃除は心の安定化にもなっていると思う。

音、仕舞い、埃。
どの作業も、いざやるには、続けるには難しい面もある。
命令されてやるのも嫌だ。
あくまでも自分の判断で、自分のモチベーションでやることだ。
音を少なくした動きは、やがて人にも気づかれるだろう。
常にモノがない部屋は、お気に入りのカフェよりもお気に入りの空間となるだろう。
拭き掃除は、毎日大事なものを輝かせるとい一面もあり、一言では語りきれない何かを得ることができるはずだ。
何事も、やってみないとわからない。
続けてみないと、わからない。


<『最小限主義。』(沼畑直樹/著)より抜粋>