今年も8月15日がやってきます。先の大戦関連のテレビ番組などが増える時期ですが、一番の疑問は「日本はなぜアメリカと戦ったのか?」ではないでしょうか?
動画製作者・KAZUYAさんのベストセラー『日本人の知っておくべき「戦争」の話』から、「日米開戦の謎」を3回に渡って検証してみましょう。
連載第1回目のテーマは、「日独伊三国同盟」です。

 ドイツでは1930年代になると、ヒトラーを指導者とする「ナチス(国民社会主義ドイツ労働者党)」が台頭していきます。1933年には、ヒトラーの独裁体制が確立されていきます。国連を脱退し、ヴェルサイユ条約を破棄して再軍備に着手しました。ヴェルサイユ条約でドイツにあまりに多くの負担を押し付けすぎた反動とみてもいいかもしれません。
 イタリアも、ムッソリーニが「ファシスト党」というわかりやすい名の政党を率いて独裁体制を固めていきました。日本は支那事変で権益のかぶるイギリスやアメリカと対立していくことになり、公然と蒋介石を軍事的に支援していきます。


 基本的に日本としては、イギリスやアメリカと戦う理由なんてありません。アメリカとは太平洋を挟んで遠く離れていますし、イギリスもとてつもなく遠いのです。彼らと話し合うために、外務大臣の松岡洋右は「日本はドイツ、イタリアと結べばイギリス、アメリカも話をするんじゃないか。なんならドイツと結んでいるソ連も含めた4国でいこう」と考え、日独伊三国同盟へと向かっていきます。


 第二次大戦がはじまったときも、「不介入」を声明し、英米との関係改善を目指していました。ドイツは破竹の勢いで進撃を続け、大国であったフランスもあっという間に落としてしまいます。
「ドイツ強し」という空気がマスコミなどの報道により高まっていきます。イギリスにも打ち勝って講和になるんじゃないかとの見方も高まりますが、最後の元老西園寺公望などは「今はドイツが勝っているように見えるけど、結局はイギリスが勝つと自分は思う」との予測をしています。    
 陸軍の中でも英米と戦争を覚悟してもドイツと組んで南方に行こうという親独派の意見が台頭してきました。当初の仮想敵国であるソ連はどこにいったのでしょう……。ソ連スターリンとしてはウハウハです。
 新英米路線だった米内光政内閣(1940.1〜1940.7)が倒れ、第二次近衛内閣が発足します。第二次内閣でも歴史教科書御用達の出来事をいろいろやっていくのです。


 大戦不介入の方針から転換し、ドイツ・イタリアとの協調、南方への進出を目指します。こうして1940年(昭和15)9月に、日独伊三国同盟を締結する運びとなりました。海軍始め反対派も多かったのですが、松岡や陸軍大臣東条英機、近衛文麿の指導によって実現するのです。


 松岡洋右は、さらにソ連を巻き込もうとソ連に出向いて1941年(昭和16)4月、「日ソ中立条約」を結びます。これでイギリス・アメリカと話し合いつつ支那事変も収束させようと目論んでいたところ、驚愕の出来事が起きます。
 日ソ中立条約の2ヶ月後にドイツが独ソ不可侵条約を破って侵攻し独ソ戦が始まるのです。これは日本にも通告しないで始められました。ドイツに振り回されて松岡の構想だった日本・ドイツ・イタリア・ソ連で英米と当たろうとの目論見は外れてしまいます。まさに裏目裏目に出ていきます。


 日本は近衛の2回目の声明にあった東亜新秩序から発展して、「大東亜共栄圏」の建設を目指して南方に出ていくことになります。当然、コミンテルンのスパイである尾崎秀実らもソ連から目をそらすために積極的に南方進出を煽っていきます。
 支那事変が泥沼化する日本としては、蒋介石を支援するための「援蒋ルート」を遮断する必要がありました。当時最大の援蒋ルートは仏印にありました。日本はフランスヴィシー政権と交渉し、これを断ち切るために北部仏印に進駐するのです。
 これに不信感を強めていくのはアメリカでした。アメリカは日本に対して屑鉄の対日禁輸を決定します。援蒋ルートについてもビルマなどを通じて続けていくことになります。1941年になると銅も制限品目になり、資源のない日本はどんどん追い詰められていきます。
 アメリカ・イギリス・支那・オランダの「ABCD包囲網」が形成されていきます。なんとか自体を打開するために、1941年4月より「日米交渉」へと移っていくのです。


 そもそも、日本とアメリカはうまくやっていました。日露戦争の時にはセオドア・ルーズベルト大統領が仲介していたり、良い関係を築いていたのですが、いろいろと問題の種はありました。
 日露戦争の後、満州に対してアメリカ資本家ハリマンが、日本が得た満州の権益に割り込もうと、南満州鉄道の共同経営を持ちかけてきます。最初日本も乗り気で桂=ハリマン協定という南満州鉄道の日米共同経営に関する呼び協定を結びますが、ポーツマス講和会議から帰国した小村寿太郎外相に拒否されて破棄してしまいます。


 第一次世界大戦で日本がドイツの所有していた南洋諸島の信託統治を委ねられて、アメリカと国境を接するようになります。こうしたことから、アメリカにも少しずつ日本に対する警戒の芽が出ていきます。
 猜疑心を抱いたアメリカは、先に書いたように日本とイギリスの挟撃を恐れて日英同盟を破棄させます。ちなみにイギリスとアメリカというと、なんとなく仲がいいイメージがありますが、昔は悪かったのです。<続く>
 

 


<『日本人が知っておくべき「戦争」の話』(KAZUYA/著)より抜粋>