イラスト/フォトライブラリー

加賀藩の江戸藩邸に住む下級武士は巨根だった。そのあまりの大きさに、結婚もままならなかった。遊里に行っても、大きな陰茎を一目見るや、さすがの遊女も尻込みし、誰も相手をしてくれない。そのため、武士は壮年になっても童貞だった。
「ああ、女を知らずに一生を終わるのであろうか」
ひとり、嘆いていた。ある日、ひとりで藩邸を出た。浅草の浅草寺に参詣し、「どうか、女と交わりができますように」
と、祈願した。帰り道、山下を通りかかると女郎屋が軒を並べている。山下には岡場所があり、ここの遊女は「けころ」と呼ばれていた。
「お屋敷さん、お寄りなさい」
女たちがしきりにさそう。武士は一軒の女郎屋にあがると、自分の身の上を正直に打ち明けた。話を聞いて、女たちが武士のまわりに集まってきた。
「ご冗談ばかり」
みな半信半疑である。
「けっして嘘ではない。だれか、みどもの相手をしてくれぬか」
「では、見せてくださいませ」
武士は自分の陰茎を引き出し、女たちに見せた。驚くやら、笑い出すやら、みな大騒ぎになった。
「これでは無理です」
と言うだけで、誰ひとり進んで相手をしようという女はいなかった。そんななか、とくに笑うでもなく、黙って考えている女がいた。武士は女に頼んだ
「どうじゃ、そなた、みどもの相手をしてくれぬか」
「ためしてみてもようございます。しかし、きょうは無理です。支度をしなければならないので、あす、お越しなさい」
「そうか。では、あす、必ずまいるぞ」
翌日、武士は女郎屋に行き、女と床入りした。とくに支障もなく情交することができた。感激した武士は楼主に掛け合い、相応の金を出して女を身請けし、妻とした。

『耳袋』に拠った。寛政の改革で山下の岡場所は取り払われたから、それ以前のことであろう。それにしても、女はどんな「支度」をしたのだろうか。気になるところだが、肝心なところは書き留められていない。事実と言うよりは、一種の都市伝説ではあるまいか。もっともらしい噂として流布した艶笑譚のたぐいかもしれない。