イラスト/フォトライブラリー

男と女の誤解 その一
本所に借家住まいをする夫婦がいた。夫が商用のため遠方に旅に出ているあいだに、大家の事情で急に立ち退きを迫られた。やむなく、妻は小石川に転居することになったが、引っ越しに際して、
「亭主が戻ってきたら、あたしはここにいると伝えてください」
と、近所の人々に、あたらしい住まいの場所を告げた。

夫が旅から戻ってきた。家にはいろうとして、ハッとした。なんと、べつな人間が住んでいるではないか。近所の人に声をかけて事情をたずねればよかったのだが、
「男ができて駆け落ちしたに違いない」
と思い込み、顔を見られるのは恥ずかしいので、そっと立ち去った。

その後、留守中に男を作って逃げた妻へ怒りがおさまらず、夫はそれとなく行方をさがした。天保六年(1835)七月、たまたま小石川のあたりで妻がひとりで歩いているのを見つけた。カッとなった夫は、
「思い知れ」
とばかり、持っていた刃物で滅多突きにする。人々が集まり、男を取りおさえたが、すでに女房は死亡していた。男は自分の誤解を知り、激しく後悔したがもう手おくれだった。おとなしく罪科に服した。

男と女の誤解 その二
深川の材木商が大和地方を旅することになり、奉公人ひとりを供に従え、午(うま)の年の春なかば過ぎ、江戸を出立した。金沢八景、鎌倉、江の島に立ち寄ったあと、箱根にさしかかると、山道のかたわらの大きな石に、真っ裸の男が放心状態で座っている。材木商は不審に思い、たずねた。
「いったい、どうなさったのですか」
「芝あたりの者でございますが、刻限を取り違えて、うっかり夜がふけてからこのあたりにさしかかったところ、四、五人の男に取り囲まれて、荷物から衣装からすべて奪われてしまいました。湯治にまいるところだったのですが、思わぬ災難にあってしまい、どういたらよいものか途方に暮れております」
材木商はいたく同情して、
「旅は相身互いでございます。あたくしは大和廻りを志す者ですが、それも来世を願わんがため。人の災難を救うのも善根を積むことになります。予定の通り、このまま湯治に行くがよろしいでしょう」
と、自分の着替えの衣類一式と、かなりの金額を渡した。男は感激して、ぜひ住所と名前を教えてくれと願う。はじめ材木商は明らかにしようとしなかったが、男があまりに懇願するため、金を包んだ紙に住所と名前を書いてやった。「後日、江戸に戻ってから、必ずお礼にうかがいます」
何度も頭をさげたあと、男は材木商と別れて、温泉場に向かった。

ところが、宿に着いたその日の晩、男は頓死してしまった。宿の者が遺体をあらためると、深川の住所と屋号を書いた紙が出てきた。そこで、宿では使いの者を江戸に派遣し、深川の材木商を訪ねさせた。主人が急死したという思いがけぬ知らせに、みな驚愕した。誰もが半信半疑だったが、ともかく、手代のひとりを箱根の温泉場に向かわせた。手代が遺体をあらためたが、すでに仮埋葬されていたため顔などは腐敗が進んでいて見分けられない。ただ、身につけていた着物は主人の物に間違いなかった。
「供の者がいたはずですが」
「いえ、おひとりでしたよ」
手代は、その宿の者の答えに納得がいかなかったが、供の奉公人は逃げたのであろうと判断した。そこで、
「あたくしどもの主人に間違いございません」
と、身元を確認した。その地に遺体をあらためて本葬したあと、手代は形見の衣類などを持って、深川に戻った。

手代からいきさつを聞き、誰もが嘆き悲しんだが、とくに女房の悲しみはひとかたならず、出家して尼になると言い出した。そこで、親類縁者が集まって相談し、
「子供は七歳の娘を頭に、男子はまだ幼い。このままでは、店の存続はおぼつかない。さいわい、筆頭の手代は実直者だ。手代を婿に迎え、子供の後見人とするのが家内繁盛のもといである」
と、女房を説得した。ついに女房も、筆頭の手代を婿に迎えることを承知した。この婚姻は町内にも披露目がなされた。

いっぽう、大和を旅していた材木商は、ついでに四国、中国地方にも足をのばし、およそ百日を経て江戸に戻ってきた。すると、女房は自分が死んだものと思って、手代のひとりと再婚しているではないか。材木商は愕然とした。だが、いきさつを知るや、
「これも前世の因縁であろうよ」
と、いさぎよく隠居して身を引き、別宅で余生を送った。

(一)は『事々録』に拠った。
(二)は、寛政年間(1789~1801)の見聞巷談を筆録した『梅翁随筆』に拠った。上記の事件も、寛政年間の出来事であろう。午の年とあるから、寛政十年(1798)にあたる。検分をした手代の粗忽(そこつ)とも言えるが、遺体保存ができなかった当時のことである。着物で主人と判断してしまったのも無理はあるまい。善意からおこった悲劇である。材木商は善行をしたがゆえに、つらい運命に直面することになったともいえよう。それだけに、気の毒である。しかし、江戸に戻った材木商が感情に任せて女房を「姦通」となじり、手代を「背信」とののしっていたら、まさに地獄絵図が現出していたはずである。だが、そうはならなかった。材木商がすべてを運命として静かに受け入れて、人を責めたり、恨んだりしなかったからだ。この事件を悲劇と述べたが、考えようによっては美談かもしれない。