写真/PIXTA

 「ずいぶん長くなりました…」
10年以上も背負い続けた
重圧を跳ねのけ、悲願達成!

 相撲ファン、否、日本国民にこれほど待ち望まれた優勝は、昭和50年3月場所の大関貴ノ花以来ではないだろうか。待ち焦がれた歳月の長さを思えば、それ以上かもしれない。


 貴花田の17歳8カ月に次ぐ、史上2位となる18歳3カ月で入幕。これは北の湖や白鵬を上回る若さである。まさに稀なる勢いで番付を上げてきた若武者に、当時の相撲ファンの誰もが過去の大横綱の姿を重ね合わせ、熱い思いを馳せていたのだ。


 現に全盛期の横綱朝青龍を土俵下まで一気に吹っ飛ばすなど、しばしば“大物食い”を果たしてきたことが、大きな期待にさらに拍車をかけることになる。しかし、当時、ライバルと言われた琴欧洲には大関昇進で先を越され、自身は上位の壁に何度も跳ね返され、三役定着もおぼつかなかった。それでも白鵬の歴史的連勝にストップをかけるなど、時に強烈なインパクトを残すため、ファンは何度も期待を裏切られても見放すことができないのだ。


 “若貴時代”が終焉を迎えて以降、土俵の主役は朝青龍、白鵬らモンゴル勢を中心とした外国出身力士に取って代わられた。その間、稀勢の里は日本出身力士の星として、期待を一身に浴び続けてきた。


 10年以上も背負い続けた重圧。何度も優勝争いに絡みながら、行く手を白鵬や日馬富士、鶴竜らに阻まれた。そんな彼らの“包囲網”の中で奮闘する姿は、まさに孤軍奮闘、孤立無援と言えるものだった。ある力士がこんなことを言っていた。


「我々は勝ち越したら『おかげさんで』と挨拶するけど、大関(稀勢の里)は10勝以上しても後援者に『すみませんでした』と電話で謝っていた。背負っているものが半端じゃないんだなと思った」


 “国産力士”の中で実力はナンバーワンであることは間違いない。しかし、“10年ぶりの日本出身力士優勝”の栄誉は琴奨菊に奪われた。悔しさは想像に難くないが「言いたいことは山ほどあるけど」と言った後、その先は口をつぐんだ。その4場所後には豪栄道も初賜盃を抱き、自身は後塵を拝することになる。


 今年1月場所14日目、自身が逸ノ城を寄り切って1敗を守ると、結びで2敗の白鵬が貴ノ岩に敗れ、ついに悲願の初優勝が決定。右の頬には一筋の涙が伝ったが、その表情が綻ぶことはなかった。


「(自分と優勝を争う力士が)敗れたところで過剰に喜ぶのもあれなんで、冷静に受け止めた」と一夜明けて、そう語った。千秋楽の優勝インタビューでも「我慢して腐らずにやってきて、本当によかった」と喜びのコメントは控えめだった。


 ファンにとっても待ちに待った優勝だったにもかかわらず、おそらくその瞬間は、辺り構わず誰かと抱き合って歓喜に沸くというよりは、万感の思いがじわじわと胸に迫ってきたのではないだろうか。重みが増せば増すほど、喜びとはそういうものなのかもしれない。


 安定した相撲ぶりが評価されたこともあり、初優勝とともに稀勢の里の横綱昇進は事実上、決まった。若年昇進記録の上位に名を連ねる三十路男は、史上4位という高齢昇進記録にも名を刻むという、稀有な横綱となる。