Perfume がデビューした当初は、振付の勉強ためニューヨークへ留学中だったという演出振付家のMIKIKO さん。名曲『Baby cruisng Love』や『チョコレイト・ディスコ』の振付誕生の裏には知られざる苦悩がありました。

ニューヨークからのビデオレターでPerfume に振付を教えていた

 原型が完成したのは、 10 年前、ニューヨークに留学していた頃でしょうか。アミューズの大里会長が「ニューヨークに行ってこい」と、背中を押して下さって、演出と振付の勉強をする機会をくださったんです。
 当時の私はブラックミュージックが好きだったし、広島でもヒップホップやバレエなど、西洋のダンスを幅広く習っていたので、欧米の影響をすごく受けていました。でもニューヨークでダンスレッスンを受けて、現地のヒップホップカルチャーをつくった人たちの中に入ってみると、余計、自分の日本人の要素が際立ってくる。モノマネしてても、絶対にダメなんだと現実に直面しました。

撮影/杉田裕一 [POLYVALENT]

 そしてちょうどその頃、ニューヨークにいながらPerfume の『チョコレイト・ディスコ』や『Baby cruising Love』の振付を作っていました。そのときに考えたのが、ニューヨークにいるからといって、その影響を受けた振付にはしないこと。自分が自分らしく自然に踊れる振りを研究して、Perfumeに踊ってもらいたいと思っていました。やっぱり、自分の一番踊りやすい振付ができてるのがPerfume なんです。Perfume にとっては、私が初めてのダンスの先生で、きちんと最初から私の踊りのルーツを教えられていると思っているんですね。私が踊りやすいものは、彼女たちもきっと踊りやすいはず。そう信じて作った振付だったので、ちょうど彼女たちに似合う振付になれていたのではないかと。
 うれしかったのは、そうやって作った振付をPerfume3人の体を通して世の中に出したら、きちんと響いていたことです。ニューヨークから日本に帰ったら、『チョコレイト・ディスコ』がブレイクして、日本で受け入れられていた。日本に戻る前は、日本人として何をするべきなのかということを悩んでいたんですが、そこで「原型」ができた感じはあります。
 ニューヨークから日本にいるPerfume にどうやって振付を教えていたかというと、ビデオテープを航空便で発送するというアナログなやり方です。ニューヨークのアパートで、家具をどかしてビデオカメラを回して、考えた振付を自分で踊りながら口で説明するというのを、延々と8時間ぐらい。「あ~ちゃんは、ここで前に来ます。このときゆかちゃんとのっちはこっちのほうで……」とフォーメーションを説明しながら踊る、という映像。もちろんひとりで3人分の振付を説明します。昼間から始まったビデオが、夜になっていくというのは、今では笑い話になっていますが(笑)。

明日の第六回の質問は、「Q6.踊り手の魅力を最大限に引き出すために重要なのはどんなことですか」です。