「将来、南相馬市に書店を出したい」そう話すのは作家の柳美里氏。柳氏にとって作家デビュー30年、芥川賞受賞から20年と節目の年に出版した初の新書『人生にはやらなくていいことがある』が売り上げを伸ばすなか、そうした「書店への思い」から新たな試みも行った。『人生にはやらなくていいことがある』刊行に際し、「書店に足を運んでもらえるきっかけになれば」と出版社、書店とタッグを組み、親交のある著名人の寄稿、作家生活を振り返ったインタビュー、お勧めの書籍を紹介する『柳美里新聞』を発行。350店舗以上に無料で設置されている。出版関係者や読者からは「改めて柳さんの本を読んでみたいと思った」と声が上がる。まだまだ本にはできることがある。そんな思いを胸に書き続ける柳氏が、自身の書店に置きたい本を紹介。

ある人生を生きたような重量感が感じられる

 わたしは東日本大震災以降、小説が読めなくなりました。もちろん仕事の資料としては、必要に迫られて読むのですが、自分の楽しみのための読書、というのができなくなってしまったのです。

 2013年10月10日、カナダ人作家のアリス・マンローがノーベル文学賞を受賞します。そのときまで、恥ずかしながらマンロー作品を読んだことがなかったのですが、ふと読んでみようと思ったのです。

『イラクサ』アリス・マンロー 著、小竹由美子 訳、新潮社

 今回は、短編小説の名手として知られるマンローの『イラクサ』を紹介します。

 わたし自身は、自分のことを長編作家だと思っています。短編を書くのは正直、苦手です。

 素晴らしい短編小説とは何か。日本文学において名作と言われる短編を読んでみると、省略方法というか、切り口の鮮やかさが印象に残ります。でも『イラクサ』を読んでみると、まったく違うのです。人生に差し込む一瞬の愉悦、人の心の奥深いところに留まる秘密、その光と影を驚くべき手法で交錯させています。 

 『イラクサ』に収録されている「浮橋」は、ガンを患っている中年女性ジニーの物語です。ジニーは死を覚悟していたものの、主治医から腫瘍の縮小を告げられ、宙ぶらりんの精神状態に置かれます。ジニーは、慈善活動に勤しんでいる夫のニールや、ニールが少年院から家事手伝いとして連れてきた少女への苛立ちを募らせていきます。この短編小説は、ジニーが偶然出逢った少年と浮橋の上でキスを交わすシーンで終わります。

 「ジニーの心にあったのは屈託のない思いやりの気持ちだった、ほとんど笑い出したいような。温かい陽気な気分がふっと湧き上がり、ジニーの痛みや空しさのすべてを押し流してしまった。一時のあいだ。」

 家族、友人、恋人であれ、自分と他人の間には溝や境があると思います。マンローはその溝や境をあからさまに描きながら、それでも他人を希求せざるを得ない人間の魂の姿を浮かび上がらせています。素晴らしい長編小説は、登場人物と共に一つの人生を行き終えたような重量感を与えてくれますが、短編小説でもその重量感を味わえる、ということが、わたしにとっては衝撃だったのです。

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