「なぜ彼女たちは裸になったのか」など、性を売る側の女性にばかりが注目されがちな売買春の現場だが、もう一方の当事者である男性側に目を向けることによって、見えてくるものはあるのか!?「見えない買春の現場 『JKビジネス』のリアル」を2月9日に刊行予定。「性の公共」をつくるという理念の下に、現代の性問題の解決に取り組んでいる坂爪真吾氏に語っていただいた。
 

「売春=気軽に、遊ぶ金欲しさ」のイメージを変えた

 2016年8月11日~21日、東京・新宿区の神楽坂セッションハウスにて、「私たちは『買われた』展」(主催:Tsubomi/一般社団法人Colabo)が開催された。

 主催者側の説明によると、この企画展は、中高生世代を中心とする当事者がつながり、声を上げることで、児童買春の現実を伝え、世の中の持つ「売春」のイメージを変えること、そしてこれまで表に出ることができなかった「買われた」少女たちの声を伝え、今も苦しんでいる同世代の女性たち、そしてかつて似た苦しみを経験した女性たち、すべての女性に勇気を与えることを目的にしているという。

  企画展の会場には、少女たちが「買われた」現実や日常を表す写真、「大人に伝えたいこと」をテーマにしたメッセージ、参加メンバーが表現したアート作品や日記などが展示された。

  主催者側は、「買う側の男性を批判・糾弾することが目的ではなく、『買われる』前の背景があることを知ってほしい」というメッセージを出していた。しかし「買われた」というタイトルが誤解を呼び、開催前からネット上では炎上状態になり、「売った方が悪い」「自分で売ったから買われたんだろう」「楽して身体を売って金を儲けたやつが被害者ぶるな」といった誹謗中傷が飛び交った。

  終了前日の8月20日(土)、私も企画展を見るために神楽坂セッションハウスを訪れた。NHKや朝日新聞などの主要メディアで企画展の開催が連日報道されたため、会場は長蛇の列だった。猛暑と豪雨の中、1時間近く並んでようやく会場内に入ることができた。

 会場には、主催者の発表や事前の報道で紹介されていた通り、家庭での虐待やネグレクト、学校でのいじめや不登校、周囲の無理解や暴力、福祉との断絶などの過酷な環境の中で、少女たちが売春に至った経緯を記したパネルや日記が展示されていた。

  児童買春やJKビジネスに関わっている少女たちが、全てこうした過酷な環境に置かれていると断言することはできないが、現実の一部であることには間違いない。そして、世の中に広がっている(と主催者が考えている)「売春=気軽に、遊ぶ金欲しさ」のイメージを変えることについては、大きな意義のある展示だろう。

■時代遅れの「貧困ポルノ」

 だが、「買われた」という言葉でこれらの現実をカテゴライズして展示する、という手法には、正直疑問を抱かざるを得なかった。「買われる」前の背景を世間に訴えることが企画展の目的であり、主催者の発信したいメッセージであるならば、買う側の男性に非難の眼差しを向けさせようとする言葉をタイトルに用いるのは完全に逆効果だろう。

 事実、少女たちを過酷な環境に追いやったのは、あくまで家庭・学校・福祉の側であり、買う側の男性は、結果として家庭・学校・福祉から疎外された彼女たちをいびつな形で支援する存在(あるいは搾取する存在)になっていただけで、問題の元凶そのものではないことは、企画展の中における当事者の語りからも明らかだ。

「買われた」というタイトルが「被害者の少女/加害者の男性」という二元論、「何の罪もないのに、大人のせいで性的に搾取された可哀想な少女たち」という感情論を惹起し、それが企画展自体の広報や宣伝に大いに役立ったのは事実だろう。「未成年の少女」「売買春」といったキーワードは、「バズらせる」=ネット上で情報を爆発的に拡散・共有させるための最も有効な武器の一つだ。

 ただしNPOの世界では、当事者の窮状を訴えるために「売買春」や「性風俗」といったセンセーショナルなキーワードを掛け合わせて戦略的にメディアに報道させる手法は、既に周回遅れになりつつある。

 女性の貧困、子どもの貧困、若者の貧困を社会問題化するために、「子供の養育費のために風俗で働くシングルマザー」「学費を稼ぐために風俗で働く女子大生」といった事例をメディアが取り上げ、多くの当事者や支援団体も「現実を知ってほしい」と取材協力をした。

 しかし、支援団体の間では「やっても効果が無かった」「何も変わらなかった」「かえって当事者へのスティグマ(負のイメージ)を強化するだけだった」という声が上がっている。単なる「貧困ポルノ」として、センセーショナルなエンタメとして消費されるだけで終わってしまうケースが大半だったのではないだろうか。

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