村上春樹や高橋源一郎にも影響を与えた、現代アメリカ文学を代表する作家・カート・ヴォネガットが遺した、痛快無比な大学の卒業式講演集。

新作はもう出ないと思われた矢先の出版

 アメリカの大学では卒業式に著名人を呼んで講演をしてもらうということが、しばしばあるらしい。そこでヴォネガットがしゃべるとなったら、卒業生は大喜びだろう。2007年に亡くなったヴォネガットの新作はもう出ないと残念に思っていたら『これで駄目なら』という卒業式の講演集が出版された。訳者は芥川賞作家の円城塔。これは読まないわけにはゆかない。

 この講演では、小説に出てくる台詞そのままに、「狂人だけが大統領になりたがる」などとヴォネガット節を披露している。「全ての偉大な文学は、人類をやってることがいかに駄目かということを扱っている」なんていうのも彼一流の皮肉だ。「わたしは飛行機で飛び回っているテレビに出てくる有名人たちにこう言ってやりたい。よう、金稼ぎ中毒の電気仕掛け野郎」(以上、円城塔訳)も痛快だ! 人間のあいだに貴賎も能力の差もありはしない、というのがヴォネガットの思想なのだ。

 これは初期の傑作SF作品『タイタンの妖女』からすでに見受けられる。シカゴ大学の人類学科にいた彼は「個々人のあいだに差異というものは存在しないと教えていた」(円城訳)と書いているが、作品の登場人物はこう言っている。「たった一つわしがこれまでにまなんだことはこの世には運のいい人間と運のわるい人間とがいてそのわけはハーヴァード・ビジネス・スクールの卒業生にもわからんということだ」(浅倉久志訳)。

『タイタンの妖女』は、数奇な運命のもと、太陽系の中を、地球から火星、水星を経てタイタンに旅して、また地球に帰還する主人公の物語だが、そこでストーンヘンジや万里の長城が作られた真の意味が明かされる。謎解きをしてしまうと楽しみが半減してしまうので、ここにストーリーは書けないけれど、この作品は単なるSFではなくて、宇宙を舞台にした人生哲学の書なのだ。ヴォネガット文学が世界文学であるゆえんである。

 最新作のタイトルの「これで駄目なら」はヴォネガットが叔父に教わった、運に恵まれてものごとがうまくいっている時に、それに気づいて言うべき台詞ということだ。

 Is This Isn't Nice, What is?

「これで駄目なら、どうしろって?」というのが円城塔の訳だ。他に言いかえられないかと、いろいろ考えたが、見当たらない。名訳だ。

カート・ヴォネガット(著)、
円城塔(訳)
『これで駄目なら』飛鳥新社
カート・ヴォネガット(著)
朝倉久志(訳)
『タイタンの妖女』早川書房