二条城の前の通りが堀川通ですが、その堀川通を北に上がってしばらく行くと、一条戻橋という橋があります。晴明神社の斜め前の位置です。この橋には昔からいくつもの不思議な伝説が残されています。

 延喜一八年(九一八)のこと。文章(もんじょう)博士の三善清行(みよしきよづら)が亡くなった。三善清行(八四七〜九一八)は「みよし・きよゆき」とも呼ばれ、平安初期の文章博士でありました。文章博士とは律令制の大学の学科の一つである文章科の教官の長であり、当代一流の学者であったといってよい存在です。文章道とは紀伝道ともいわれ、中国の歴史書などを学ぶ学問でありました。一説によれば、三善清行は妖怪をも屈服させる魔力をもっていたとされます。

 父の死を知らずにその子の浄蔵(じょうぞう)が熊野から京都に帰ってきたのですが、ちょうど堀川の橋を渡ろうとすると、向こうからたいそうな葬列がやってきました。

 「どなたが亡くなったんですか」

と聞くと、こともあろうに自分の父親でありました。

 ぜひ一度会わせてほしいと懇願し、顔をみると、まさに自分の父に間違いない。浄蔵は数珠(じゅず)ずを高くもんで、梵天帝釈(ぼんてんたいしゃく)や四天王、ならびに閻魔(えんま)大王等に祈りを捧げ、「父の魂をいま一度戻してほしい」と叫んだといいます。すると、お棺のなかから、父の声が聞こえて、父子はその夜を橋の上で語り合って明かしたというのです。