■独裁者はなぜいつしか「悪」とされるのか

 金正男殺害事件について、大方のところでは金正恩が放った刺客によるものだという見方がされている。2013年12月には事実上のナンバー2だった張成沢が粛清、処刑される事件があったことからも、北朝鮮国内では金正恩による恐怖政治体制が強化されている様子がうかがえる。

 独裁者によって身内や側近が粛清されることは、人類の歴史の常であった。母親が用意した和解の場で弟を殺害したとされる古代ローマのカラカラ帝。フランス革命の同志を次々と断頭台送りにしたロベスピエール。政権掌握のための力となった突撃隊を粛清したヒトラー。数十万人を処刑、暗殺、もしくは強制収容所送りにしたスターリン……など、他にも枚挙に暇がない。
 ただ、「力こそが正義」とする考え方もある。もし独裁者が全ての権力を掌握し、完全な統治を行っているのであれば、独裁者が握る力はその国における正しさの源泉となる。独裁者の考えや行動の全ては正しいものとなり、反発する者は悪となるだろう。そうなれば反発する者も生まれず、敢えて恐怖政治を行なう必要もないはずだ。

 では、何故独裁者はいつの時代も、粛清、処刑、暗殺などの手段を用いた恐怖政治を行うのだろうか。そして、何故不正を行う独裁者がいつしか悪とされるようになり、強固な権力を誇った政権が崩壊するのか。

 この問題は古代から存在していたようで、哲学者プラトンが今から約2300年以上も昔に書いた『国家』という書物でも論じられている。
 プラトンの著書はソクラテスを主人公として、様々な登場人物が対話をするシーンが描かれた「対話篇」の形式をとっていて、『国家』でも「正義とはそれ自体で正しいものであり、正しく生きる人は幸福な人である」というテーマについて、対話を続けながら議論がなされている。
 正義とはそもそも正しいものであることのように思われる。だが、登場人物の一人であるトラシュマコスは次のように疑問を呈する。

次のページ ■トラシュマコスとグラウコンの主張