角栄は、「天才なんかじゃなかった!」

角栄は、日本人民衆の「努力」の象徴であり、戦後、私たちそのもの姿だった

では、なぜ日本人は角栄を「まつりあげ」寄ってたかって「おとしめた」のか

2月25日、新たなる「人間・角栄」論の出発点となる書籍

『角栄 凄みと弱さの実像』が書店で発売される。

カバーは見開き1枚の写真です。表面は、 1972(昭和47年)7月5日、第12回自民党総裁選挙にて田中角栄が福田赳夫を決選投票で破った瞬間。緊張した表情が印象的だ。
カバー裏面は、角栄を引きずり落とそうとした実の兄弟、岸信介(安倍晋三首相の祖父)元首相と佐藤栄作元首相の「呆然」とした表情も見逃せません。

 角栄本ブームに沸いた昨年、角栄「天才」論や、「おい、メシ食ったか」角さんなど数々の「角栄伝説」が「読者の心」をつかんだ。「戦後日本のシンボル=角栄」という図式が角栄の「伝説」を上書きしていくのだろう。

 しかし、そんな角栄像に「ちょっと待った!」と物申す男が現れた!

 宮澤喜一元首相から「永田町のナマズ」と呼ばれ、「小沢一郎の知恵袋」として国会で活躍、元参議院議員の平野貞夫氏である。

角栄を涙させた男、平野貞夫氏(1935〜)
明治の「自由民権運動」の中心、土佐で生まれた「いごっそう」である。吉田茂から薫陶を受け、角栄、小沢一郎にいたる戦後民主主義の《保守本流》の流れを知る《生き証人》である。

 平野氏は、1965(昭和40年)、自民党幹事長に初めて就任した角栄と当時、衆議院運営委員会の事務局(官僚)に勤務していた時に知り合い、角栄とは「国会運営」でやりとりした。以来、《仕事上》での付き合いは続いた。1983(昭和58)年のロッキード一審判決後に、角栄の《再起》のための1万ページにわたる「国会発言録」を編集。あの角栄が、泣きながら平野の手を握りしめた。

 角栄を《体温と涙》で知悉する平野氏は、角栄の「天才」伝説に警鐘を鳴らす。

民主政治に天才を求めるのは、危険だ」という点だけでなく、「あの角栄を、そんな、“ちっぽけな”評価で言い表せるわけがない」という思いがあるからだ。平野氏「角さんは《努力》の人です。天才だと持ち上げられのは角さんの本意ではないでしょう」とした上で、こう続けた。

角さんの、政治理念は《人間復権》にあるんです。『日本列島改造論』とは、その理念に貫かれた「政策」なんです。ここが、角栄の《核》なんです。角さんの豪快な伝説を戦後民主主義の歴史に、しっかり位置付けることが必要なんです。むしろ、豪快さよりは繊細で、政治家として非情になれなかった。つまり、優しすぎたんです。角さんの《弱さ》を知れば、その《凄み》が本当にわかると思います

 平野氏は、《人間復権》を唱えた角栄の政治を「戦争/カネ/女性」をタテ糸に、「戦後憲法と裏日本」をヨコ糸にして、新たな《人間・角栄》論を著した。

本当の角さんの話をしなければいけない時が来たのだと思います

 角栄を知る著者の「警醒の書」が4日後に書店で発売される!

 角栄の実像、エピソードをこれからBTで紹介していきます。

【目次】

第1章 敗戦と憲法と「土方」デモクラシー———《裏日本》で生まれた男の若き血の叫び

第2章 生まれた土地で不幸になるのはおかしい———ヒト・モノ・カネの流れを変えよ

第3章  愛なのか、宿縁なのか———角栄が《等しく》愛した女たち

第4章  殴打の痛み———陸軍二等兵の平和外交論

第5章 なぜ総理大臣になりたかったのか———角栄《天下取り》の組織論

第6章 金権———なぜ角栄だけが裁かれるのか

第7章 民衆の心———日本人はなぜ角栄が好きなのか

第8章 土に還った日———死して、《地霊》となり、よみがえる角栄