写真は堺の旧市街、堺区の櫛屋町東3丁目に建てられている「糸割符会所跡」の碑です。糸割符という言葉、皆さん学校の歴史の時間で一度は耳にされたことと思いますが、堺は慶長9年(1604)に茶屋四郎次郎を代表とする京・長崎との商人連合で徳川家康に中国の生糸の独占輸入を請願し、認可されました。その資格証が「生糸貿易の割符」=糸割符というわけ。当初この碑は現在の位置より数十m南西の戎之町東3丁にあったということですから、次の写真の信号の向こうあたりになります。
  
 町の名前でピンとくる方もいらっしゃるでしょうが、戎之町は恵比寿さん、堺戎の神社があるところ。        

 糸割符仲間の内堺の商人200人以上で貿易額全体の45%近くを占めていたといいますから、まさに商売繁盛えびす様、そのご利益を期待して皆門前に集まっては貿易取り引きの打ち合わせをおこなっていたのでしょう。

 輸入された生糸はここで陸揚げされ、絹糸に仕上げられるために業者の手に渡されたのです。

 

 また、すぐ近くには堺奉行所もあり、役所との連係にも便利な場所だったようです。今、かつての面影を残すのは、神社だけとなってしまいましたが、昔は最先端のビジネス街だったのです。