ノックしても、らもさんが出ない。

嫌な予感しかしなかった。

 

第一回目のインタビュー収録は、大阪城公園のホテルニューオータニだった。その日は、ライターの小堀さんとも、これまでの思い出話に花が咲き、楽しい時間を過ごせた。

ただ、さすがに2時間を過ぎると、インタビューの進行もペースダウンし始めた。

すると、らもさんはコートのポケットからバーボンのボトルを出して飲み始める。

これは、今日はもう終わり、という合図らしかった。

インタビューに使ったスイートルームで、らもさんに泊ってもらった。

私は、打ち合わせをしに、らもさんを残して小堀さんたちと飲みに出かけた。

このとき、どういう事情で、らもさんを残して飲みに出かけたのかわからないのだが、明日の朝10時に部屋に迎えに行くと約束をした。

朝食をとりながら、打ち合わせをしましょうと言うと、らもさんは、いつもどおり「ふっ、ふっ、ふっ」と笑った。

 

さて、事件はその朝に起きた。と言っても私ひとりがパニックになっただけなのだが。

10時に部屋をノックしたのだが、らもさんが出ない。外にはルームサービスを頼んだのであろう、シャンパンのボトルと食事の皿が置かれている。

嫌な予感がした。

こういう時、誰もが同じようなことを心配するのかどうかはわからない。とにかく私はパニックになりかけていた。

フロントに行って内線電話を鳴らしてもらう。やはり出ない。30分待って、内線を鳴らす。……出ない。

もともとがこちらで予約した部屋であるので、鍵を開けてもらうのは難しいことではなかった。ただし、多分、私の顔は真っ青であったはずだ。

勇気を出して部屋に入ったが、ベッドにバスローブが脱ぎ捨ててあるだけで、らもさんはいなかった。

私はホッとした。最悪の事態は免れたと思った。

ちょっと落ち着いて、マネージャーに連絡を取ろうと思いロビー近くのカフェに入った。

すると……いるのだ。らもさんが……いる。

なぜだか涙が出そうになり、「らもさん!」と呼んだ。

らもさんは、こちらを見たが無表情である。近くまで行くと灰皿に吸い殻の山ができている。

「らもさん、どうしたんですか?」

ビックリして私が聞くと、らもさんは淡々と言った。

「8時からおるんよ」

「えっ?」

「待ち合わせ、8時違うの?」

「……」

朝の8時に打ち合わせなど普通はしない。

ただ、この時も、私が東京に戻るのを気にして、8時というのもあり得ると勘違いしてくれていたのだろうと思う。

ただ、できれば部屋のキーはフロントに戻していてほしかった。そうすれば、すべては解決していたと思う。

実はこのあと、1時過ぎまでいたから、3時間ほど話し込んだ。

このときの会話が、私にとってのらもさんとの唯一の会話である気がする。

 

中島らもさんは、

優しい天才であったと思う

らもさんは、どういうわけか朝の8時待ち合わせと勘違いして、私を待っていたから、5時間以上その場所にいたことになる。

今思えば、らもさんは、かなりしんどかったと思う。

けっしてテンポの速い会話ではなかったが、いつものらもさんよりは饒舌だった。

執筆中だった小説「酒気帯び車椅子」の話を聞いた。小説の何がきついかと言えば、田植えに似ているからだと言う。すべての構想は、すぐにできあがるのだが、それをマス目に植えていく作業がきついと。

天才の感覚だと私は思った。短い間であったが、私はらもさんを天才だと何度も感じた。

そして、少し前に断った、単発のエッセイの仕事について悔いていた。酒とつまみについての原稿依頼であったと言う。なぜ断ったのか思い出せない。ただ絶対に受けるべき仕事だったように思えてならないと言う。

もともとがそうした単発のエッセイが、自分の原点だったというような話だった。

優しい人なのだ。とても優しい。

 

らもさんは言った。

階段から落ちて、わからないうちに死ぬのがいい。

そして、のちに階段から落ちて亡くなったからであろうが、その時に聞いた、らもさんの死生観は何度も思い出す。

多分、その時の私は、らもさんの弱い部分を引き出そうとしていたのだと思う。

「そうは言っても、らもさん、本当は弱い人間ですよね? だからアルコールやらクスリに逃げるんですよね? 日ごろの言動は、虚勢を張っているだけなんじゃありませんか?」

そんな方向の話を引き出せれば、これまでにないエッセイになるし、本気で私はそう思っていたような気がする。

 

だが、そうした話は一切聞けなかった。当時、私はまだ40歳前であったから、らもさんに52歳という年代に、そろそろ死を意識することもあるのではないかとも聞いた。

らもさんは、意識することはないとはっきり言った。それに死ぬこともまったく怖くないとも言った。

自分は35歳で死ぬと思っていたから、いつ死んでもいい。できれば、酔ったまま階段から落ちて死ぬのが一番いいと言っていた。

 

信じられない話であるが、本当にそうなってしまった。

私が編集した「異人伝」が刊行されて一カ月後のことである。それを見つけた新聞社から取材を受けた。自殺ではないかと記者は、引き出そうしていた。

それは違うと思うと言った。

その時は話さなかったが、階段から落ちて死ぬのがいいと言ってはいたが、らもさんは、死にたいとは思っていなかった。

らもさんが、弱みをいっさい見せなかったのは、自分の読者の視線を常に感じていたからだと思っている。

俺の読者は、そんな弱っちい中島らもなんて期待してね~んだよ、と。

 

「そろそろ、ええ?」

そう言って帰って行った、らもさん。

私もそろそろ、あの時のらもさんと同じ歳に近づいてきた。