いつか片づけようと思っていて

絶対に片づけない物がある

『片づける勇気』の著者・佐原美和さん

「4月」と言うと、入学、入社、転勤など、すぐに掃除のイメージがわく人も少なくないはず。

心機一転、普段、手をつけない場所も掃除しよう!というパターンが一般的だろうが、思い起こすに、「いつかやろうと思っていて、やらない」場所やモノがあるのでは?

例えばビジネスマンなら、資料整理はどうだろう? 私の場合は、気になって切り抜いた新聞記事などが十数年分たまっていて、毎年、ちょっと目を通しては、捨てる捨てないを悩んでそのままにするというパターンを繰り返している。

ほとんどは何のために取っておいたかも忘れている記事だし、何かに使うということも「恐らく」ない。

だいたい新聞記事なんてイマどきはデータでアーカイブされているのだから、必要な時に検索をかければ十分に足りる「はず」……だ。

そうなのだ。この「恐らく」「はず」という気持ちがいけない。

恐らく使わない……もしかすると使うかもしれない。

十分足りるはずだ……もしかすると足りないかもしれない。

そんな不安がココロのどこかに隠されているのだろう。

だからよくある片づけの本を読んで、「一年使わなかったものは捨てなさい」などと言われてもまったくピンとこなかったし、むしろ、一年使わなくても来年は使うかもしれないという恐怖心のほうが上回ったりするのだ。

 

物を片づけるには

ココロの整理が必要

そんなことを思っているうちに、「片づけはココロの問題」であるということがハッキリ認識できるようになった。

「片づける勇気」(KKベストセラーズ)の著者で、整理収納アドバイザーの佐原美和さんは、自らが主宰する片づけのセミナーでさまざまな質問を受けるうちに、整理収納のテクニックを教えても片づけられない人は、いつまでたっても片づけられないことに愕然としたと言う。

そして「物を片づけるには、ココロの整理が必要」ということに気づき、ココロの問題であれば、心理学にヒントがあるかもしれないと思い、アドラー心理学を学ぶことになったのだ。

そこで得たヒントに次のようなものがある。アドラー心理学の教えに『目的論』というものがある。

一般的には、何か問題が起こった時、「なぜ、こうなったのか?」と原因を探そうとするのだが、これは『原因論』ということになる。

さて、家が片づかないことに悩んでいる人がいて、その原因を探してみると家の中に物が多いからだとわかったとする。

だが原因がわかっただけで果たして家が片づくかと言えば答えはNO。原因がわかっただけでは問題は解決しないのだ。

一方の『目的論』で考えてみよう。目的論では、人がある行動をとるのは「そうすることが自分のためになる」と判断したからであり、自分のためになることこそが、その人の行動の目的なのだと考える。

先の家が片づかない問題で言えば「物が多いことが自分のためになる」と判断をしたということなのだ。

では、物が多いことで自分のためになることとは一体なんなのか?

「うーん、物が多いと何となく落ち着くから……」。

「そういえば最近は一人で食事をすることが多くて、淋しくなるとつい物を買ってしまっていた……」

「買い物をするとその一瞬は寂しさが紛れていたように感じる……」

なるほど。目的論で考えれば、家が片づかない根底の感情は淋しさだということがわかるのだ。

このように自分がなぜ物を部屋に溢れさせているのかを知るには、部屋を溢れさせている目的がわかるとココロの整理ができて対処がしやすいということなのだ。

ここで、私自身の問題に戻ってみたい。私がなぜ使うことのない新聞記事の切り抜きをため込んでしまうのか、である。

「あっ」と思い浮かんだことがある。自分のためになること……それは、新聞記事を切り抜いているときの不思議な快感だ。

まったくお恥ずかしい話だが、私は新聞を切り抜くことで、ちょっと頭が良くなっているような変な快感を味わっていたのだ。

そして、それをため込むことで、まるで知識をため込んでいるような錯覚に陥っていた。

あ~バカらしい。間違いなく錯覚である。新聞記事をため込むだけで知識が増えたり、頭が良くなるわけがない。