新宿という町は巨大な繁華街ですが、じつは水に深い関わりをもった町なのです。新宿は三〇〇年あまり前の元禄一二年(一六九九)、甲州街道沿いに新しくつくられた宿場でした。

わかりやすく説明しましょう。最近は新宿の人の流れも変わって、南口で待ち合わせをする人が多いでしょう。高島屋などのショッピングゾーンが広がり、いつもごったがえしています。その南口の改札を出たところに大きく走っている道路が甲州街道です。今は高架になっていますが、昔は下を走っていました。

かなり急な坂を四谷方面に下り切ったあたりが、昔の追分(おいわけ)です。少し左手に行くと新宿通りに出ますが、その交差点にあるのが追分交番。「追分」とは街道と街道が分かれるところにつけられる地名で、伊勢丹デパートの前のバス停は今も「新宿追分」になっています。

今はなくなっていますが、この甲州街道沿いに玉川上水が流れていました。玉川上水とは、多摩郡羽村(はむら)から多摩川の水を取水し、武蔵野の台地を四〇キロ余りにわたって開いた上水です。上水の終着点はこの内藤新宿で、ちょうど今の新宿御苑の外れに当たる地点まで開渠(かいきょ)で水が流されてきました。

今はもう水道局も改築されてしまい、上水の跡は見られなくなってしまっていましたが、平成二二年(二〇一〇)に、かつての流れにそって新宿御苑内に玉川上水内藤新宿分水散歩道なるものができました。この玉川上水は多摩郡の庄右衛門・清右衛門の二人の兄弟が私財を投げ打ってつくったとされ、承応二年(一六五三)に着手し、翌年完成しました。

この地点に水番所が置かれ、水の調整やごみの類いの処理をしました。余水はここから新宿御苑の東側を流れ、神宮外苑を通って、渋谷に向かっています。渋谷駅で降りて、青山のほうに向かって山手線を越えると、すぐ左手に小さな空間があります。これは新宿御苑から流れてくる渋谷川を覆ってつくったもので、昔は川のカーブが残っていました。