自由か平等か。この問いかけは、永遠に社会で「反復する」二者択一のテーマである。ただ、角栄は、まず、平等の分配で格差を解消する。しかし、それだけでは「うまく回らん」と日本社会の矛盾を「さらに」深くとらえた。今回は角栄の真骨頂たる「ヒトの弱さ」に目をかけた「自由な」政治思想のお話。『角栄———凄みと弱さの実像』を上梓した、平野貞夫氏の分析。
田中角栄(写真:1954年/パブリック・ドメイン)
 
「あんたら自由主義の、いちばんええところは何だね。自由に金を稼げることだ。金さえ持ってりゃ何でも出来る。金が余暇を生み、余暇が知恵を生む。その知恵が生んだのが、自由、平等、博愛だ。金がひとところに必要以上集まると、仏様にしかできないようなことを可能にすることもある。え、そうでしょうが、黒い兄さん」(矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん!』角川書店)

 角栄のキャラクターは、マンガなどにもそのモデルとして多く描かれている。上記引用文は、小説『あ・じゃ・ぱん!』中の田中角栄の言葉である。戦後の“偽史”、敗戦後、日本が西日本側と東日本側に分断国家として描かれ、角栄は東日本の反政府ゲリラ「独立農民党」の党首として描かれている。

 私たちは角栄に関する資料を手当たり次第にあたる中で、矢作俊彦氏の描く角栄像と、平野氏が「民衆の怨念」が生んだ政治家として位置付ける角栄像が「奇妙に」重なっていることに気づいた。平野氏は「角さんが、高等学校、帝大に進んでいたら“筋金入り”の共産主義者になっていたかもしれないですなあ」と語る。しかし、角栄は、その政治の《原資》を自らの力で稼いでいたかもしれないと平野氏は確信する。

 後述するが、平野氏は角栄の金権批判に対し、「政治のカネは自分で稼いだ」という自負があったことを著作の中で指摘している。私腹を肥やす金(ストック)ではなく、流通させるお金(フロー)=政治資金を自分で稼いだことである。

 その意味で角栄ほど、自由主義者(金持ち)であるがゆえに「自由・平等・博愛」という理念を語る「場所」を持ち得たのかもしれない。つまり、理想的な平等主義にしてもその「コスト」は誰が負うのかについての経済的な認識である。角栄は現実的にそこを独力で「強引に」達成していく。ただ、ここに角栄の政治的隘路(行き詰まり)を平野氏は(矢作氏もまた)発見しているのである。

 「何でも金で買える」というところまで、角栄は行ってしまった。つまり、「世間の常識を超えてしまった」という点である。後年、ホリエモン(堀江貴文氏)のセリフ「金で買えないものはない」を黙して角栄は豪快に実践してしまったということだろう。平野氏は、そうした角栄を「世間を敵に回した」と評している。

 ただし、そこで一筋縄でいかないのが角栄であり、「自由で民主的」な角栄の真骨頂なのである。

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