戦争とは何か。これは「体験」していない日本人にはまったくわからない。ただ、戦地を体験した人間にとっては、一回限りの命の「重さ」を身にしみて感じることだけは想像できる。平和ボケだと言われても、いざ、自分が出征するとしたら、「死にたい」とは思わないはずだ。角栄は戦地から無事、生還した。今回は、角栄の「平和」哲学のお話。『角栄———凄みと弱さの実像』を上梓した、平野貞夫氏に話を聞いた。
 
1942(昭和17)年6月25日、東京湾沖にて米国潜水艦ノーチラスの雷撃を遭い撃沈する日本海軍駆逐艦・山風。乗組員全員戦死(写真:1942年、米国公文書館/パブリック・ドメイン)

戦争なんかで死ねるか

山岸は「わしらの世代(編集部注・大正世代)ならみんな心で思うていることなんやが……」と声を低めて、「わしが田中(角栄)さんを好きというより、尊敬しているというのは、あの人は戦争が嫌いだったと思うからや。あの人は、仮病を使ってでも軍隊を離れた人と思うからや」と言葉を足した。…中略…「あの人は、決して軍国主義にしないよ。それだけは断言できる」(保坂正康『田中角栄の昭和』朝日新書)

 角栄が生まれたのは、大正7(1918)年であり、この大正世代(1912-26)の男子は約200万人が戦死していることは、第1回目で述べた通りである。

 上記著作で保坂は、軍隊から抜け出す3つの道を、角栄の同世代である山岸という男への取材で聞く。「①合法的に抜け出す道 ②非合法的に脱走する道 ③自殺する道」の3つである。どうやら①で軍隊から「足抜け」した兵隊が「予想外に多い」という事実に保坂は驚く。①の道とは「仮病」を装う作戦である。詳細は同書を参照願うが、少なくとも、山岸という男は、角栄が①で軍隊を抜けたと推論する。さらに足抜けした兵隊の特徴として「社会を早く知り、女性体験を持っており、人の強さ、弱さを熟知したタイプ」だという。まさに角栄がそれに該当する。もちろん、これは「仮説」でしかない。

 しかし、軍隊での体験を認めた自伝『私の履歴書』の中でも、確かに、そこには「死の恐怖」が感じられないのだ。むしろ、「生の執着」の方が強い。いや、まさに「戦争なんかで死ねるか」とすらも読み込める。入営生活でとことん「殴られ」、特に、アメリカの映画女優ディアナ・ダービン(1921-2013)のブロマイドを持参して「こんな女を自分のワイフにしたい」などと述べては殴られ、戦地には、同棲中の女性からラブレターまで来ている。

ディアナ・ダービン(写真:1938年、『シンデレラ・マガジン』/パブリック・ドメイン)

 平野氏は「角栄の軍隊『足抜け』説については、そこんところの真実はわからんねえ」としながらも「軍隊組織、つまり、超官僚的組織の何たるかは身をもって知ったんだろう」と語る。そして、軍隊体験に基づく角栄の「戦後憲法」観を続けた。

 

 

 

 

 

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