イラスト/フォトライブラリー
『江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 吉原の楼主一家は、妓楼の一階の奥に私室を持って住んでいた。楼主夫婦の子供はここで育てられるわけだが、周囲は淫蕩な環境である。おりにふれて耳にする会話も猥褻な内容が多い。
 楼主の子供は男女ともに早熟で、性的にも放恣な人間になることが多かった。ところが、ごくまれにだが、性的に潔癖な人間に育つことがあった。一種の反動なのだろうか。

 宝暦(1751~64)のころ、吉原の大巴屋(おおともえや)という妓楼の楼主夫婦に、おつやというひとり娘がいた。おつやは素直な性格で、行儀作法も心得えており、浮いた噂もなく、「妓楼の娘には珍しい」と、評判になるほどだった。

 このおつやを、地廻りの若者が見そめた。地廻りとは、毎晩のように吉原にやってきて、ぶらついている男である。金がないので女郎買いはしないが、毎日歩きまわっているため、吉原のことはくわしい。
 地廻りはしばしば艶書を送り、おつやを口説いた。ところが、おつやはそんな手紙は封を切ることもなく、まったく相手にしなかった。

 女のつれない態度を逆恨みした若者は、地廻り仲間としめし合わせて、大巴屋の前に来ると、「大巴屋のどら娘~」と、はやし立てた。これが毎晩のように続く。いつしか、「大巴屋のどら娘~」は、はやり歌の一節のようになってひろまった。

 おつやが苦悩したのはいうまでもない。まとまりかけていた縁談も破談になるほどだった。しかし、いきさつを知った男が迷うことなくおつやを女房に迎え、その後、夫婦円満、家業も栄えたという。

 『当世武野俗談』に拠った。
 現代でも、ふられた男が意趣返しのため、女の悪口をふれまわったり、メールやインターネットで誹謗中傷の内容を流したりすることは少なくない。名誉棄損などで逮捕される事件もしばしばおきている。江戸時代もいまも、恋愛をめぐる男の陰険さは同じということだろうか。