プロ3年目の1956年に1軍に上がり、鶴岡監督の下で13年間プレーした。でもキャッチャーの具体的な技術を教えられることはなく……。自身の生涯を振り返った新刊『壁』を発売する野村克也氏が、「自分の頭で考える」ことの大切さを説く。

1球単位で配球を考えてから試合に臨む「予測野球」 

 私が足を踏み入れた1950年代のプロ野球界は、今のようにチームに何人もコーチがいませんでした。ベース・コーチやノックをするためのコーチがいるぐらいで、監督から直接指導を受けることが当たり前だったんですよね。

 ところが、プロ3年目の1956年に1軍に上がり、鶴岡監督の下で13年間プレーしましたが、キャッチャーに関する技術的な指導を受けたことはまったくなかった。

写真/高橋亘

 もともと気合いや根性を重視する精神野球の人だったので、私が1軍のレギュラーになりたての頃、「ピンチで強打者を迎えたとき、どんなリードをすればいいのでしょうか?」と聞いても、「バカたれ! そんなことは自分で勉強せえ!」と返されるのみでした。

 だから、キャッチャーとして成長するためには、自分の頭で考えて行動に移すしかなかったんですよ。

 当時のキャッチャーの主な役割は、ピッチャーに気持ちよく投げてもらうためのリード、確実な捕球、盗塁の阻止といったところでした。

 ただ、プレーを続けているうちに、「キャッチャーの役割はそれだけではないのではないか」と考えるようになったんです。

 守備についている9人の選手の中でグラウンドに正対し、全体を見渡しているのはキャッチャーだけです。そして、キャッチャーの指示に基づいて味方の選手たちが動いている。いわば、キャッチャーは監督の分身であり、試合をコントロールしているわけです。

 そのためにも、ピッチャーに気持ちよく投げてもらうことはもちろん、持ち球や当日の調子に合わせて、相手バッターの性質に対応していかなければならない。

 そうしたことを常に考え、試合や練習などを通して、ピッチャーの能力を引き出したり、バッターの心理を読みながら、状況に応じた配球を組み立てる力を鍛えていきました。

 それがいつしか、相手打線を頭に思い浮かべ、1球単位で配球を考えてから試合に臨む「予測野球」に発展していったんです。

 もちろん予測通りに試合が運ぶことはまずないので、場面場面で確実に対応し、ピッチャーや他の選手をうまくリードして、チームを勝利に導く粘り強さが求められました。

 ただ、負けが続いたりすると、自分の指1本が試合を左右するということに恐怖を感じた時期もありましたよ。

 レギュラーに定着してから、何年か経ったときだったか、サインを出そうとしても指が動かないんですよ、怖くなって……。

 自信も失い、このままではチームに迷惑をかけるだけだったので、鶴岡監督に伝えたら「なにー! それなら今日は外野に行けー!」と。

 それで1度だけライトを守ったことがあるんですよ。後楽園球場で。

 でも、5回裏の相手の攻撃中に、鶴岡監督がタイムを取ってベンチから出てきたんです。代わりに出場したキャッチャーに不安を感じたようで、キャッチャー交代ですよ。「野村、帰ってこーい!」って。

 結局、わずか5イニングで定位置に戻ったわけですが、そのとき感じたのは、「ああ、精神野球の鶴岡監督もキャッチャーの重要性はわかっているんだな」と。

 それを再確認できただけでも、私にとってはいい休みでしたね(笑)。

明日の第十六回の質問は、「Q.16 プロ17年目で抜擢されたプレーイング・マネージャーのことについて聞かせて下さい」です。