イラスト/フォトライブラリー
『江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 宝暦(1751~64)のころ、音羽町に石見屋という茶屋があった。女房はおしげといい、器量がよいうえに物静かで、口数も少なかった。
 おしげは見かけによらず大の力持ちだったが、それまでその力を人前で見せたことはなく、人に話したこともなかった。

 音羽町に音羽山峰右衛門という相撲の年寄が住んでいて、しばしば若い力士が集まっていた。
 あるとき、力士が三、四人連れ立ち、近所をぶらついていた。ちょうど音羽町七丁目の蓮光寺という日蓮宗の寺で万巻陀羅尼の修行がおこなわれており、多くの参詣者でにぎわっている。力士たちは若い女と見るや通せんぼをしたり、わざとぶつかったりして、「キャー、危ない」と、女が逃げまどうのを見て、笑い合った。屈強な力士数名だけに、誰も注意することはできず、男たちもみな見て見ぬふりをしていた。

 おしげも若い下女をひとり供につれ、蓮光寺に参詣にきた。おしげが客殿の縁側に腰掛けて休んでいると、そこに力士のひとりがやってきて、尻をなでた。おしげは気が付かぬふりをして、知らん顔をしている。図に乗った力士は、今度は股のあいだに手を入れようとした。やにわに、おしげは力士の手を取ると、膝の下に置いてぐっと押さえつけた。その力たるや、まるで万力で締め付けているかのようである。
 「うううう」力士は懸命に手を抜こうとするが、抜くことはできない。それどころか、その骨を砕かんばかりの痛みに顔は真っ青になり、「痛い、痛い……」と、ひたいから冷や汗を流しながら苦悶の声を漏らす。

万力

 いっぽうのおしげは平気な顔をして、ふところから水晶の数珠を取り出し、「南無妙法蓮華経」と、題目を唱えている。
 事態を知って、麻裃を着た講の代表がきて、「この場は、あたくしにまかせてください」と、詫びを入れた。ここにいたり、おしげもようやく力をゆるめた。力士は危うく骨折からまぬかれ、ほうほうのていで逃げ帰った。

 以来、「音羽町のおしげ」といえば、近在で知らぬ人はいないほどの女になったという。

 『当世武野俗談』に拠った。
 こういう話を読むと、すぐにおしげと亭主の関係、とくに夜のいとなみがどうだったのかが気になる。これこそ男の不純さ、つまりスケベ心なのかもしれない。
 ついでに述べると、男勝りの腕力を持ちながらも房事では従順で、ひたすら男につくす女……こんなパターンが筆者の場合はゾクゾクする。