家紋の起源は、貴族の牛車の目印 武士に家紋を与えたのは源頼朝

 名字とともに、日本人が家単位で伝えてきた神聖なものに家紋がある。その起こりは平安時代中期で、貴族の藤原実季が自分の牛車を見分けるために、巴形を三つ組み合わせた独自の意匠をつけたことに由来するとされる。
 「巴形は、日本人が縄文時代から祭事やお守りに使ってきた勾玉を模したもの。こうした呪術的な文様や中国から伝来した文様を参考に、日本独自の家紋が平安の国風文化のなかで発展して行ったのです。それが武士にも広まったのは、やはり源頼朝の功績です」。

 武士が家紋を旗印にするようになった経緯は、鎌倉幕府の史書『吾妻鏡』に記されていると武光さんは言う。
 「源平の合戦では源氏が白旗、平家は赤旗。当時は旗の色だけで敵味方の区別をしていました。平家を討ち、奥州征伐に向かった頼朝は、常陸国の佐竹秀義の軍が源氏伝来の白旗を持っていたため、源氏の棟梁と同じ旗を持っていることを咎めるとともに、月丸のついた五本骨扇を与え、白旗につけるよう命じたと記録が残っています。つまり頼朝は、源氏の武士が皆白旗では、どの軍が手柄を立てたのかわからないと考えたのです」。

 頼朝は、御家人たちの名字とともに、家紋の登録も義務にした。恩賞を手にしたい武士たちも、旗指物や陣幕、甲冑などに取り入れ、鎌倉時代の半ばには、武士にも家紋が広まった。そして室町時代には、すでに260種を超える家紋が足利将軍家の『見聞諸家紋』に記されていたというから、驚きだ
  戦国大名たちは武運長久を願って勇ましい紋を好んで旗印とし、家を代表する紋を定紋、その他を替紋として使い分けていた。やがて江戸時代に入ると、家紋は儀礼を正す文様となる。
 「分家し、本家の家紋を変えて作る。結婚した両家の紋を合わせて作る。江戸時代は庶民も家紋を持つようになり、さらに種類が増えました。社紋、寺紋などを含めると、現在では2万5000種以上もあるといわれています」。

月刊『一個人』2017年4月号より抜粋】