イラスト/フォトライブラリー
『江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 神田あたりで料理茶屋をいとなむ夫婦にひとり娘がいた。娘は容貌も才知も人並すぐれており、とくに欠点はないように思えるのだが、どういうわけか結婚してもすぐに離縁になり、結婚と離縁を繰り返すこと四、五回におよんだ。
 いっぽう、本町の雛人形師の原秋月も女房をもらうこと五、六回におよんだが、すぐに離縁してしまった。

 このことを知った人が秋月に勧めた。
 「おたがい似ているではないか。この際、その娘を女房にすれば、よい夫婦になるのではないか」
 「そうですな。ただし、顔も見ないままというのはためらわれます」
 「それも、もっともですな」
 知人が料理茶屋の夫婦に掛け合うと、先方も承知し、日時を取り決めてお見合いをすることになった。

 文化七年(1810)十二月、神田明神の茶屋の座敷で、秋月と仲人役の知人が酒と料理を取り寄せた。襖一枚でへだてられた隣座敷では、やはり料理茶屋の夫婦と娘、仲人役が、酒と料理を取り寄せる。

 ある程度酒がはいったころで、秋月は襖を細目にあけてそっと隣室をのぞいた。一目見て娘が気に入り、「女房にもらいましょう」と、仲人に告げた。仲人が掛け合うと、娘のほうもすでに襖のすきまから秋月を観察して、気に入っているという。

 仲人同士が話し合った。
 「こうなれば、堅苦しいことは抜きにして、襖を取っ払い、当世風にやりましょう」
 そこで、境の襖を取り外してしまい、両者合流しての酒宴となった。
 「ここまでまとまったのですから、このまま婚礼の宴席にしましょう」
 そのまま婚礼の宴となった。その夜、娘は秋月の家におもむき、夫婦となった。

 『耳袋』に拠ったが、当時、庶民の結婚がいかに気軽で、のんきだったかがわかる。裏長屋の住人の場合など、婚礼の宴もなかった。仲人が新婦を連れて、新郎が住む長屋にやってくる。そこで両者を引き合わせ、スルメなどを肴に三々九度の盃を交わし、それで終わりである。その夜が、新郎新婦の初夜となった。
 いっぽう、男女の相性という観点からも興味深い。「破鍋に綴蓋(われなべにとじぶた)」というたとえがある。つまり、どんな人にもそれ相応の配偶者がいるものだ、と。上記の、料理茶屋の娘と原秋月など、その典型といえるのではなかろうか。