南アフリカ生まれのノーベル賞作家が近未来を舞台にして描いたディストピア小説の傑作。この子供は本当に幼子イエスなのか? 血のつながりのない3人は聖家族なのか?

不快なまでに直截、なのに感動してしまう!

 差別や抑圧、人が人にする蛮行が目に見えないところで進められるのが先進社会であるとしたら、それらが誰の目にも明らかな形で露わになっていたのがアパルトヘイト時代の南アなのかもしれない。どこまでそれが小説に反映しているのかは判然としないが、南アフリカのノーベル賞作家(2003年受賞)J.M.クッツェーの代表作『マイケル・K』(1983年)には、暴力、格差、差別のテーマが、すべて書き込まれている。

 主人公のマイケル・Kは生まれた時から、口唇断裂症で容姿に自信が持てず、人との交わりを避け、都会で庭師として働いていた。病気で弱った母を、空気の良いところへ連れて行こうと、手作りの手押し車に乗せて都会を出るが、差別や暴力のため苦難を強いられる。
 結局、母とは死に別れ、マイケル・K自身も軍人に身ぐるみ剥がれたり、労働キャンプに入れられたりし、やっと母の故郷の無人の農場にたどり着く。ほっとしたのもつかの間、農場主が帰ってきた後、軍人に追い立てられ、最後は蟻の幼虫を食べて暮らすほど落魄する。

 この作品には、母の介護に始まって、主人公自身が病院やビルの一室で介護を受ける姿もよく出てくる。作者にとって介護すること/されることは、暴力や差別に抗って、苦難を乗り越える比喩なのだ。そして、さまざまな災厄を身にまとう主人公に、知らぬ間に読者は同化して、いっしょに憤りを覚えるうちに、いつしか深い感動に包まれてしまう作品だ。

 J.M.クッツェーの2013年発表の小説『イエスの幼子時代』の翻訳が出版された。彼の作品には時代も場所も判別しない世界が舞台のものがあるが、この作品もそのひとつ。

 主人公シモン(ヨセフか?)は、ある日、船でこの国に流れ着き、移民局と思しき役所を訪問するところから物語は始まる。彼は血のつながりのない未就学の男の子を連れていて、実の母親を探しているのだという。少年(イエスか?)が「パンって好きくない」と言うなど、翻訳もいい感じだ。そして、主人公と少年は、差別から逃れるため街から出て行くところで物語は終わる。

 『イエスの幼子時代』に主人公が大怪我をして介護される場面があるが、この作品ではさらに育メンが新しいテーマとなっている。介護、育児と、人が助け助けられる姿を作者が繰り返し書くのは、一人では生きられない人間を支えるための価値観が今必要だからだ。格差や差別が露骨になった現代に、クッツェー文学は新しい価値観を提示しているのだ。

J.M.クッツェー(著)、くぼた のぞみ(翻訳)『マイケル・K』(岩波文庫)
J.M.クッツェー(著)、鴻巣 友季子(翻訳)『イエスの幼子時代』(早川書房)