佐藤の“藤”は藤原氏の“藤”?

「佐藤」の名字は藤原姓を起源としている。佐藤の名字が台頭した経緯については諸説あるが、もっとも有力なのは平安中期の貴族・武将であった藤原秀郷(ひでさと)の子孫、公清が左衛門尉(さえもんのじょう)という官職に任ぜられ、その一族も世襲によって歴任したため“左衛門尉の藤原”が佐藤(左藤)になったという説だ。

「藤原秀郷は平将門討伐で活躍した名門・藤原北家の一族で、現在の栃木県や埼玉県など、関東一円で勢力を誇りました。左衛門尉は律令体制下における左衛門府の官僚で、当時のステータス。一族は多くの藤原姓のなかで差別化を図るために佐藤という名字を標榜したと考えられます」と、『一個人』4月号の中で姓氏研究家の森岡浩さんは話す。

 森岡さんによれば、このほかにも佐渡守という官職についたことから佐藤になったとする説や、秀郷が下野国佐野(栃木県佐野市)に居住したことから、子孫がその地名をとって佐藤としたとするなど、いくつかの説がある。
 だが、いずれにせよ関東の藤原一族が佐藤の本家であることはほぼ確実だ。しかし、いくら有力な氏族とはいえ、どうして“佐藤”が突出してメジャーな名字となったのだろうか?

「佐藤一族はその後も多様な形で勢力を増やし、分家を繰り返し拡散しますが、彼らは名家・藤原の一族であることを示すため、移動先でも名字を変えませんでした。また勢力を増したものの、徳川や足利など、大名や将軍にまで強大化しなかったことも一因です。天下をとるほどになると逆にその名字が〝神聖化〟されて使いにくくなり、増えづらくなるのです」と森岡さん。

 もちろん、佐藤のルーツとなる藤原姓が権力の中枢に多かったことも佐藤が発展した重要な素地である。こうしたさまざまな原因が偶発的に重なり、佐藤はやがて全国に根を下ろし、現代に至るのだ。

 

 佐藤の家紋に関しては、「代表的なものは源氏車、下り藤、左三つ巴です」と、家紋研究会会長の高澤等さんは解説する。
「源氏車は伊勢神宮で役職についた佐藤一族が朝廷からの捧げ物を運ぶ牛車をモチーフにしたもので、佐藤の名字ではもっとも多い家紋のひとつです。下がり藤は藤原一族であることを象徴する藤をあしらったもので、加藤や伊藤など、他の藤原派生の名字と共通し、多く見られます」。