イラスト/フォトライブラリー
『江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 享保六年(1721)、年季が明けた折岡という吉原の遊女を、ある男が迎えて妻とした。
 柳沢淇園(きえん)は、その男とはごく親しい間柄だったため、「元遊女を妻に持つのは、正直なところ、どんなものですか」と質問した。
 男はつぎのように答えた――。

 女房にしてから半年くらいのあいだは、おりにつけ、つい意地の悪いことを言ってしまったものです。
 「きっと深く言い交わした男があったであろう。隠さなくてもよい。これまでの男のことをすべて話してみろ」
 そんな嫌味を言ういっぽうで、「この女がほかの男を知らない処女だったらどんなによかったろう」と、思ったものです。
 多くの男に肌を許した遊女であるのを納得して妻に迎えたはずなのですが、ちょっとした痴話げんかのときなど、ついそんなことを口走ったり、思ったりするのです。
 いっぽう、わたくしのそんな嫉妬や嫌味に、「あたしは好きで遊女になったわけではありません。むごいことを言わないでください」と、女房は涙を流していました。
 しかし、それも半年ほどのあいだです。
 その後は、女房の過去はまったく気にならなくなり、仲睦まじい夫婦となりました。

 『ひとりね』に拠った。
 著者の柳沢淇園は、五代将軍綱吉の側用人として権勢をふるった柳沢吉保の一門である。柳沢淇園は柳里恭(りゅう りきょう)の号でも知られる。
 淇園は早熟の才人で、文武はもとより芸事にも励み、二十歳になるころにはすでに、「人に師匠として教えることのできる芸十六を体得している」と称されるほどだった。吉原で遊蕩したことでも知られる。

 元娼婦を妻にした男の心理が非常に興味深い。現代、元フーゾク嬢と結婚した男の心理も似たようなものなのだろうか。
 江戸時代、女は玄人と素人にはっきり区別されていた。玄人は遊女や芸者である。素人は遊女や芸者でない女、つまり普通の娘や人妻である。
 現代、玄人と素人の境目はあいまいである。そう考えると、元フーゾク嬢と結婚した男の心理は、やはり江戸時代の男とは異なっているであろう。