熊野神社の神官が“鈴木”のルーツ

「鈴木」は“ススキ”の当て字で、ススキとは、紀伊半島の熊野地方では積み重ねた稲のことを指す。「鈴木」は元来この地方に根付いた熊野信仰に携わる人々が名乗った名字で、彼らの祖先である大和国山辺郡穂積郷(奈良県天理市前栽付近)の一族は神武天皇に多くの稲を献上して「穂積(ほづみ)」の姓を賜った。つまり、稲穂を積んだ“ススキ”が“鈴木”となったわけだ。
「鈴木という名字は特定の始祖が名乗ったのではなく、熊野信仰を広めた人々共通の称号として生まれました。彼らは布教のために紀伊半島を出て全国へと散らばります。こうして鈴木は拡散したのです」と姓氏研究家の森岡浩さんは『一個人』4月号の中で話す。

 なかでも著しい発展を遂げたのが、三河地方に渡った一族だ。彼らは戦国時代に徳川家康の家来となり、君主とともに岡崎、浜松、江戸へと勢力を広げ、江戸時代にはさらに増大した。東北にも拡大し、その結果、明治時代には“鈴木”は国民的名字となった。

 

「鈴木は稲にゆかりの系統ですから、稲をモチーフにした家紋が全体の7割近くと突出しています」と、家紋研究会会長の高澤等さんは語る。ほかには熊野信仰に関係のある幣(へい)を配したものも多く、また、“鈴木”にちなんだ鈴の図柄もある。