武田信玄や伊達政宗は美少年にラブレターを送っていた⁉ 洋の東西問わず、戦乱の世に必ず栄えた少年愛。歴史を変えた、男と少年の関係を赤裸々に描いた書籍『なぜ闘う男は少年が好きなのか』より、大人気武将、伊達政宗の知られざる姿を紹介!

 

 


政宗、最愛の少年とは?

 さて、そんな政宗ですが、彼も信玄と同じく、この男色という特殊な男同士の結びつきから、有力な家臣を一人育てあげています。

「独眼竜政宗」では西郷輝彦が演じ、政宗の名軍師だった片倉小十郎景綱の長子、片倉小十郎重長です。

 重長は、東北のみならず、天下でも名高い美少年でした。

 濡れ羽カラスの黒髪に、漆のように光る瞳、東北育ちの透き通った白い肌に赤い唇がよく映えて、片笑窪くぼの一笑に、万よろずの花が落ちるといった風情。

 彼は、秀吉が天下人の頃から、京都や伏見で政宗の小姓をしていたのですが、大名たちが皆、彼の綺羅星のような美貌に驚き、政宗のことをうらやましがったといいます。特に、関ヶ原で世紀の裏切りをやった小早川秀ひ で秋あ きは熱心で、重長を追い回したという逸話が残っています。

 しかし、この重長、容姿の麗しさや、殿中での挙措の端正さ、褥(しとね)でみせる優しさや媚とは裏腹に、父譲りの火のような激しい気性を秘めていました。

 彼は後に、大坂夏の陣で、真田幸村と真正面から激突、その戦い振りから、「鬼小十郎」と呼ばれることになります。そして、数奇な運命から、幸村の血筋は、重長の侠気を通じて後世に伝わっていくことになるのです。


いきなり父親から殺されそうに!?

 天下の諸侯を悩ませ、伊達政宗、最愛の人となった美少年、片倉小十郎重長。彼の人生は、そのはじまりから劇的でした。

 重長は、1548(天生12)年、伊達政宗の右腕だった片倉小十郎景綱の長子として、生を享けるのですが、生まれていきなり父親から命を奪われそうになるのです。というのも、その頃、まだ政宗に子供が生まれていなかったため、「主君よりも先に子を得るのは不忠」と、景綱がわけの分からないことを言いだしたためでした。

 これは当時の感覚としてもかなり突飛なことでしたが、エキセントリックな主君には、エキセントリックな参謀がつくということなのかもしれません。

 驚いた政宗は「絶対にダメ。助けなかったらお前のことを許さないからな」と大慌てで文を書き、この親子殺しを止めています。ちなみにこの手紙も現存しています。

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