複雑なものを避け、白か黒かをはっきりする。現代の病だ。
 それによって「いろいろな宗教が自分自身を変えてしまう」(和田氏)状況が生み出され、現代においては(科学や、イデオロギーといった)「宗教的なもの」が溢れるようになる。
 では「宗教」と「精神科」はどんな役割を果たすのか。どう現代を見ているのか。
 宗教学者・島田裕巳氏と精神科医・和田秀樹氏による共著『「宗教」と「精神科」は現代の病を救えるのか』より、ふたりが警鐘を鳴らす「日本の宗教的なもの」についてご紹介する(前後編の後編)。
前編はこちら:宗教学者と心理学者が直言。正義と悪をはっきり分ける「テレビ教」に注意せよ


「老年医学会」のようなダメな組織を生む土壌

和田 島田先生がおっしゃるように、医師の世界は組織好きの日本人ならではのシステムですよね。

島田 ほかの社会だったら、ちょっと考えられない。察するとか、忖度するということ自体、ほかの国にはないことです。そんな医療は今後よい方向に行くんですか? それとも悪いほうに?

和田 たぶん悪いほうに向くと思います。いわゆる宗教の場合、教団の末端の人々は真面目です。それと同じで、日本の場合には安くてよく働く医者がいるわけです。たしかに、ヒトラーみたいな変な人間が上にきたときは困りますが。まともな人が教授や学会のボスであれば、医療の世界は非常に低コストで真面目に働く教団になります。

 全体として見れば、日本の医療は低コストにもかかわらず、非常に真面目でよく働き、つい一〇年くらい前までは医療ミスの訴訟もほとんどなかった。日本は医療ミスが少ない。諸外国と比べてもです。実際、国民の平均寿命も長いし、乳幼児の死亡率も低い。医療のレベルは高いわけです。

島田 その医療の現場ではどんな人がリーダーになるべきなんでしょうか? 人格ですか?

和田 教授は人格で選ばれることもありますが、人間性がわからないから論文の数で選んでしまうときもあります。その結果、変わった人物が教授になるということは多々あります。大学の医学部の教授選定システムは特殊です。教授会で選ぶのですが、例えば眼科の教授を選ぶ際に、前任者の眼科の教授は入れてもらえません。というのも、眼科を経験している前任者を入れてしまうと、そこに眼科医はいませんから、前任者の意向ですべてが決まってしまう。ですから、眼科の医者のいないところで眼科の教授を選ぶというシステムです。眼科医が一人もいない中で眼科の教授を選ぶことになるわけです。しかし、そうすると現代の医療現場は専門分化しているから手術がじょうずか下手か、面倒見がいい人柄かどうかということは一切わかりません。そこで、教授は論文の数で選ばれることになります。

 いずれにしても、教授になれば、そこはある意味上がりのポストです。だから、『白い巨塔』が小説になる。製薬会社との癒着がメディアで批難され、現実に高齢者の薬を減らす研究もしてこなかった老年医学会のようなダメな組織もあるんです。日本の医学会はボス次第のところがあるのですが、僕の見る限り最近のボスは志が低いのでいい方向に向かうとは思えないのです。