第38回 
言葉より数を見る


褒められても喜ばない

 

 周囲の人の声に流されない、という姿勢は非常に重要である。無視できないほど大量に声は押し寄せるけれど、その大部分を遮断しないと、自分の考えが前面に出てこないし、流されていると、そのうちに「考えない人間」になってしまうだろう。
 ただ、遮断するといっても、周囲をまったく観察しないという意味ではない。生きていくうえで、自分の周辺、そして未来がどんな環境なのか、自分が進む道はどのようなロケーションにあるのか、条件や障害を多方面から観測する必要がある。
 まず、個々の人が何を言っているかではなく、何人がものを言っているかの方がはるかに大事であり、その人数をきちんと把握すること。
 たとえば、褒められたからといって喜んではいけない。また逆に、貶(けな)されても落ち込む必要は全然ない。「いいね」だけを数えるのではなく、「駄目だね」も数えよう(そんなサインはない?)。そして、褒められた数と貶された数を単純に足し合わせて、合計の数字だけを把握・分析する。この数の変化こそが、自分への「影響」だと捉える。
 僕は、実際にこのとおりにしている。発表した作品に対しては、みんなが評価点をつけるし、いろいろな感想も届くけれど、最も確かなデータは、何人が読んだか、何部売れたか、という数字なのである。
 高いものは売れにくく、安いものなら売れる、というならば、売れた数ではなく、売上げを見る。それが、最重要のデータだ。また、製作費や宣伝費がかかったのなら、それらを差し引いた利益が、その作品の評価値として一番信頼できる。
 僕は、純粋にそう考えているので、良い評価も悪い評価も同じと見る。何人が反応したか、あるいは、何人が意見をアップしたか、の方がずっと大切な「結果」といえるし、つまりは、本を出版する目的に一番近い「成果」だといえる。
 たとえば、学校のクラスメイトが、一日に何人話しかけてきたか、で見る。良いことも悪いことも言ってくるだろうが、同列に扱う。幼い子供は、親が褒めても叱っても、何回言葉をかけられたか、で親子の関係を本能的に測っているだろう。親が子供に関心を持っているかを示す(目に見える)一番確かな指標がどう変化するかに注目している。

 

つまり、質より量である

 

 世の中でよく聞かれる台詞は、「量より質」だろう。この言葉が強調されるのは、現実には、その逆だからである。
 売上げが思わしくない、人気が思ったほど出ない、といった場合に、そうした量ではなく、「個々の意見を大切に拾いたい」みたいな言い訳をするのだ。
 「お客様の声」などといって取り上げる場合にも、多くは「良い声」だけを拾っている。もしも個々の声に注目するならば、「悪い声」に耳を傾ける方がまだ建設的だ。しかし、個々の声である以上、一つの声を聞いて対処しても、量は一つしか増えない。もし、良い方の声であれば、量は一つも増えない(何故なら、良い声は、既に買ってもらった人から発せられるからだ)。
 僕が作家になって一番に感じたことは、出版社も書店の人も、みんな本が大好きな人ばかりで、本を読まない人たちに向けた商品を開発していない、ということだった。
 シェアを伸ばそうと考えるならば、現在見向きもしない人たちにアピールする必要がある。日本人のうち小説を読む人は、百人に一人もいない。もの凄いマイナな趣味なのである。その小さな世界で閉じた戦略しか持っていない、と僕には感じられた。この二十年間で、出版界がどれだけ衰退したかを見れば、僕が持った印象が間違っていなかったことを少しは納得してもらえるだろう。
 自分たちが良いと信じるものが良い商品ではない。相手が求めるものが良い商品になる。そして、良い商品とは、量が売れるものだ。質を上げれば売れるという幻想を、まず捨てる必要がある。何故なら、質は、人によってまちまちだからだ。
 作家が仕事ならば、ファンの声ではなく、読者にならない人が、どれくらいいて、何故手に取らないのかを観察しなければならないはずだ。

 

春は工事開始のシーズン

 

 暖かくなり、地面が凍っていない日を迎えることが多くなった。こうなると、土が掘れるし、あれもこれもやりたくなってくる。冬の間も、庭園鉄道はほぼ毎日運行していたが、不具合があっても寒くて直せない。そんな箇所を、これから修繕していくことになる。スコップを持って庭に出ることが楽しみだ。
 手始めに、モルタルを練って、レンガを積もうと考えている。また秋まで、日々少しずつ頑張ろう。

 

庭園鉄道は毎日運行している。樹の葉が茂るのは二カ月さきなので、暖かい日差しがまだしばらくは地面に届く。