金沢市の南西約20kmの田園地帯に、東西南北の名字をもつ家々がほぼ方位そのままに並ぶという、なんともフシギな町があった。小雨に煙るその集落を訪ねると、意外な事実が分かった(『一個人』4月号取材時) 。

江戸時代から続く旧家が並ぶ、のどかな町の家名のフシギ 

写真を拡大 ▲町の各家庭にある屋号地図(作図/ジェオ)

 下開発町は62所帯。集落には方位姓ではないひとも9軒ほどいるが、ほとんどの家は東西南北中の家々と縁戚関係があるとか。 
 町の北側に「北」さん、南部に「南」さん、東側に「東」さん、西方に「西」さん、中央には「中」さんが住んでいる石川県能美市の下開発町。テレビでも紹介され、全国的に知られるフシギな町は、東西300m南北100mほどのこぢんまりした集落だ。
 表札は内玄関に掲げられているので、外から来た身には分かりにくいが、上の地図のように同姓の家が固まっている。

▲能美市議会議員 北村周士さん/能美郷土史の会会員。本家は能美市三ツ屋町で、自身も方位姓。

 「開発は、鎌倉・室町時代から続く地名です。昔は、能美庄や開発庄という荘園があって、いまも加賀のコメどころです」と、郷土史に詳しい能美市議の北村周士さんは言う。「明治8年(1875)に、『だれもが苗字(名字)を名乗らなければならない』という太政官布告が出されました。でも、一般のひとには『苗字ってなんだ?』って感じだったでしょうね」。
 で、困った挙句、庄屋さんに相談した。寄合の結果、庄屋さんは杉の木のある家に住んでいたから「杉本」と名乗ることにした。集落の北に住んでいるひとたちは「北」、南に家があれば「南」、集落の東にいたら「東」、西は「西」、真ん中の家々には「中」という名字がついた。 

 血縁関係は無視、単純に方位でつけた名字である。だから、北家が続く。東家も固まっている。南家も集まっている。同姓同名の住民も少なくない。だから、下開発の郵便局員も迷う、どうしても配達違いが起こる。むかしは、いきなり覚えのない請求書が舞い込んで、家がゴタついたこともある、と元町会長の東潤一さんは笑う。「こちらでは、お葬式のときに名前を呼んで順番にお焼香するのですが、私の隣に座っていた人が間違って焼香に立ってしまったこともあります」と北村さん。同姓が多いからこそ起こる珍事である。 
「でも、お年寄りたちは屋号で呼び合っているので、そうした間違いは起こりません。たとえば、分家して“所帯”を別にするとその家は“ショテデ(所帯出)”という屋号で呼ばれます」。

 東西南北の名字が生きている町には、屋号で呼び合う濃密で心和む人間関係が、脈々と続いてきたのだ。 
「私の実家は下開発に近い辰口の三ツ屋ですが、そこでは“シロクサノショテデノアンチャン”と呼ばれます。四郎兵衛さんの所帯出の長男、という意味で、すぐ私だって分かってしまう、悪いことはできません」と北村さんは笑った。

▲東 潤一さん 元町会長。屋号ナカショテデの4代目。構えた新居が中側にあったので中所帯出というのだそうだ。
  ▲東 正芳さん 前町会長。屋号は、新宅から所帯出した分家のさらに新しい分家で、シンタクノシンショテデ  
▲北 謙二さん 現在の町会長。屋号は「ご先祖様が市兵衛とかで、市兵衛ん家、とでもいったんでしょうね」。
  ▲南 康博さん 元町会長。屋号のロクリョモンとは「ご先祖さんが、六郎衛門というような名前だったのでしょうかね」。

下開発町の方位姓はこうして生まれた

1 明治8年(1875)、太政官布告で全員に名字が必要になった
2 集落のなかで家のある位置に従って、東西南北中の名字をつけた
3 分家した子が家を構えるようになり、集落内に分散する