イラスト/フォトライブラリー
『江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 文政六年(1823)のこと。外神田に住む次助は糠(ぬか)の行商人だった。小日向あたりを歩いているうち、甘酒などを売る茶店の娘と親しく言葉を交わすようになった。娘はお花といい、二十三歳で、なかなかの美人だった。

 妻恋坂で麹屋をいとなむ三郎兵衛は世話好きで、店に出入りする次助に言った。
「おまえさんは真面目で働き者だが、何歳になるね」
「二十八になります」
「その年になって独り身はよくない。あたしが世話をしてもいいよ」
「あたしもそう思っております。じつは、嫁にもらいたい女がいるのですが」
「ほう、どこの誰だね」
 次助はお花のことを告げた。三郎兵衛は破顔一笑した。
「麹を売るから、その茶店はよく知っている。よし、あたしが掛け合ってあげよう」

 三郎兵衛がお花の両親に掛け合うと、取引先の麹屋の主人の口利きだから、一も二もなく了承した。両親が娘に話をすると、「はい、次助さんなら」と、お花も婚姻を承諾する。
 十一月の吉日をえらび、嫁入りとなった。

 当日、雨が降っていたため、お花は小袖の上に木綿合羽を羽織り、傘をさして実家を出た。付き添うのは仲人の三郎兵衛と、お花の父親である。
 次助の家に着いたのは五ツ(午後八時ころ)前だった。一行が入口の戸をあけようとしたところ、背後から男が、「お花、覚えたか」と叫ぶや、刀で斬りつけた。刀は差していた傘を切り裂いて、お花の右肩から乳の下あたりまで達していた。
 お花は重傷を負いながらも家のなかに逃げ込み、力尽きて倒れた。畳は流血で真っ赤に染まった。
 そのまま男は走り去った。夜で、しかも雨が降っていたため、人相などはまったく不明だった。
 すぐに医者が呼ばれたが、お花は意識が回復することなく死去した。

 事件を聞いて、岡っ引はピンときた。
「ははん、お花と情を通じていた男だな。お花が嫁入りすると聞いて、恨みに思ったに違いない」
 そこで、お花の男関係を調べていくと、水戸藩の足軽で、門番をしている清吉という男が浮かんだ。茶屋にしばしば遊びにきていたという。
 ところが、清吉はすでに水戸藩邸を出奔していた。

 清吉の身元を調べると、小倉(北九州市小倉区)藩の藩邸に親類がいることがわかった。この親類にかくまわれているらしい。ただし、大名屋敷のなかには町奉行所の役人も踏み込めない。まして、岡っ引は手を出せない。
 そこで、人を使って金の話をエサにして藩邸の外に呼び出し、隠れていた岡っ引とその子分らがいっせいにとびかかって清吉を捕えた。清吉は小伝馬町の牢屋敷に送られた。

『藤岡屋日記』によったが、当時の恋愛と結婚の事情がよくわかる。当時、庶民の娘が男と忍び会うことも、婚前交渉をすることも珍しくはなかった。
 ただし、婚姻となると、たいてい仲人が取り持ち、親が決めた。娘のほうは、「あたしには好きな人がいます。その人といっしょになりたいのです」などとは、とても言えない。親の決めた相手と結婚するのが普通だった。恋愛と結婚は別だったのだ。
 女があっさり結婚するのを知るや、それまで肉体関係にあった恋人が裏切られたと感じるのも無理はなかった。お花を殺害した清吉も、裏切られたと感じて激昂したのであろう。