イラスト/フォトライブラリー
『江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 新石町一丁目に搗米(つきごめ)屋があり、主人は庄助といった。庄助夫婦は子供がなかったことから養女をもらい、ゆくゆくは婿養子を取るつもりだった。養女はお初といい、十七歳だった。店に住み込みの庄八という米搗き男がいて、二十九歳だった。この庄八とお初ができてしまい、ひそかに結婚の約束を交わした。

 ところが、お初も一時の情熱で夫婦約束までしたものの、落ち着いて考えると、もし養父母に知れたら「ふしだら」として、どんなに叱られるかわからない。そこで、庄八に別れ話を切り出した。
「夫婦になることはできないよ。もうおたがい、忘れよう」
 庄八はほかに男ができたに違いないと思い込み、お初に恨みをつのらせた。

 安政四年(1857)六月十五日、庄八はお初が湯屋から戻るところを待ち伏せした。お初を見るや、「家に帰れないようにしてやる」と言いながら、剃刀で髷を切りおとしてしまった。勢い余り、背中にもかすり傷をあたえた。お初が走って逃げ去ったあと、庄八はなにくわぬ顔で店に戻った。
 髪を切られてしまい、お初は家には帰れない。いったん下谷茅町の実家に身を寄せようと思った。筋違橋まで来たところで日はとっぷり暮れ、五ツ(午後八時ころ)に近かった。考えてみると、いまさら実家に帰るのも外聞が悪い。

 思いつめたお初はいっそ死んでしまおうと、橋から神田川に身を投げた。たまたま川に多くの涼み舟が出ていた。水音に気づいて、船頭たちが舟を寄せてお初を引きあげ、新石町の搗米屋に送り届けた。
 これで事件は表沙汰になり、庄八は町奉行所に召し捕られた。身元を調べると、庄八は無宿人だった。

 八月十六日、判決が言い渡された。庄八は「主人養娘はつと蜜通」にくわえ、「剃刀を以て疵を負わせ」たのは「不届至極」として、引廻しの上、磔に処された。お初は、そもそも身のふしだらに原因があるとして、「不埒」として手鎖になった。養父の庄助は、人別帳にない庄八を雇っていたのは「不埒」として、過料五貫(五千)文を科された。

『藤岡屋日記』に拠った。
 庄八にとってお初は養女とはいえ、主人の娘であり、あくまで「主」にあたる。お初は髪を切られただけで、殺されたわけではないが、庄八は引廻しの上、磔という極刑に処された。主人の娘を傷つけたからである。当時の身分制では、主人やその家族に危害を加えるのは極刑である。

 なお、判決文中の「蜜通」は密通の当て字で、江戸時代にはよく用いられた。なんとなく「蜜」の字のほうが、感じが出ている気もするが……。