『魏志』倭人伝を読み解き、「邪馬台国=九州説」を徹底検証する第3回!
『魏志』倭人伝には様々な国から国への距離が記載されている。
「短里」を用いて『魏志』倭人伝を読むとわかる、邪馬台国が存在した地方とは?
 

「短里説」を取ると
邪馬台国は九州に存在することになる

 邪馬台国論争は、文献的には、「邪馬台国=九州説」が有利、考古学的には、「邪馬台国=畿内説」が有利、などといわれる。本当にそうか?
 
 まず、文献的に検討してみよう。現在、日本の1里は約4kmほどといわれているが、これは日本の国内だけで通じる単位である。当時の中国本土の標準は1里=434mであった。

 『魏志』倭人伝の中には、さまざまな国から国への距離が記述されている。例えば、狗邪韓(くやかん)国から対馬国の距離は「千余里」、対馬国から一支(いき)国の距離が「千余里」などである。『魏志』倭人伝に書かれている中で、現在の地図上でも確認ができる国間の距離は11個ある。これを今の単位で実際に測ってみると、約90㎞=千里となる。したがって1里は約90mということになるのである。

 このことから「地域的短里説」が登場する。すなわち、現在の日本の1里=4kmのように、三国時代の韓と倭の地では、1里が100m以下の「短里(たんり)」という、その地域だけで通じるローカルな単位が存在したのではないか。そして、この「短里」を用いて『魏志』倭人伝を読めば、邪馬台国は九州地方に存在することになるのである。

 『魏志』倭人伝は、朝鮮の帯方(たいほう)郡から女王国(邪馬台国)までの距離を「一万二千余里」と記している。技術者の藤井滋氏は、『東アジアの古代文化』1983年春号掲載の論文「魏志倭人伝の科学」のなかで、およそ、次のように述べる。

 「帯方郡から狗邪韓国までの七千余里、狗邪韓国から末盧(まつら)国(現在の佐賀県松浦半島付近とされる)までの三千余里を合計すると、一万余里となる。したがって、末盧国から邪馬台国までは、一万二千余里から一万余里を引いて二千里ほどとなる。末盧国から邪馬台国までは、約千五百里から二千五百里の範囲にあることになる。

 邪馬台国は、末盧国から一大国(一支国を表す。現在の壱岐にあたる)までの距離千余里よりは遠く、狗邪韓国(三千余里)よりは近い所にあることになる。これを図示すれば、図1のようになる。図1は、帯方郡から邪馬台国までの一万二千余里のもっとも単純、明快な解答である」

図1
末廬国は、現在の佐賀県松浦半島付近とされる。
邪馬台国はここから2000里ほどの場所にあることから、図の赤い円内に存在したことになる。


 また、「水行十日、陸行一月」などの記述が、それほど遠くを指しているのではないとする見解もある。


《邪馬台国が九州にあったとする理由 第4回へつづく》