『魏志』倭人伝を読み解き、「邪馬台国=九州説」を徹底検証する第4回!
前回に続き、『魏志』倭人伝に記載されている国と国の距離や位置に関する内容を、
今度は「放射説」を用いて考察する。
 
「水行十日、陸行一月」などの記述が
それほど遠くではないとする理由

 ひとつは、東洋史学者の榎一雄氏の主張する「放射説」である。すなわち、邪馬台国への道程は『魏志』倭人伝に記されているとおりに、順次たどるべきではなく、伊都国から後は、放射状にたどるべきである、とする見解である。

 そして、いまひとつは、台湾の国立台湾海洋学院大学教授であった謝銘仁氏の説いた、次のような説である。

 「『水行二十日』『水行十日』『陸行一月』は、休日・節日や、いろいろな事情によって、ひまどって遅れたり、鬼神への配慮などから、道を急ぐのを控えた日々をひっくるめた総日数に、修辞も加わって記されたものである。決して実際に道を進めた〝所要日数〟のことを意味しているのではない」

 榎一雄氏も、謝銘仁氏もかなり詳しい根拠をあげている。さらに『魏志』倭人伝は3度にわたって、「女王国」は「伊都国」の南にあった、と記している。例えば、『魏志』倭人伝は記す。

 「女王国より以北には、とくに一大率をおいて、諸国を検察させている。(一大率は)つねに伊都国に(おいて)おさめている」

 「伊都国」は、現在の福岡県の糸島半島の糸島市付近を指すとみられる。その南にあったとすれば、「女王国」は、筑後川流域あたりを指すことになる。

 また、『魏志』倭人伝は記す。

 「女王国の東(方)に、千余里渡海すると、また国がある。みな倭種である」

 九州には、一つの島であるから、本州方面に行こうとすると、海を渡る以外にない。邪馬台国を畿内大和とすると、東方に行くのに、海を渡らなければならない必要性はないようにみえる。『魏志』倭人伝は、さらに記す。

 「(女王国の)南に狗奴(くな)国がある。男子を王としている。その官に狗古智卑狗(くこちひこ)がある」

 邪馬台国=九州説をとる場合、この狗奴国は、現在の熊本県広域と考えられている。現在の熊本県南部には「球磨(くま)郡」と呼ばれる地域があるが、熊本の〝熊〟、〝球磨〟の音は〝狗奴〟と関係あるのであろう。また、熊本県北部の「菊池(きくち)郡」にいたリーダーは「菊地彦(くくちひこ)」と呼ばれていた可能性が考えられるが、こちらも「狗古智卑狗」と音が非常に近いのである。


《邪馬台国が九州にあったとする理由 第5回へつづく》