常に新たな視点を持ち、従来の研究では取り扱われなかった古代史の謎に取り組み続けてきた歴史作家・関裕二が贈る、『地形で読み解く古代史』絶賛発売中。釈然としない解釈も、その地にたてば、地形が自ずと答えてくれる!? 「瀬戸内海と河内王朝を地理で見直す」をシリーズで紹介いたします。

忘れられている瀬戸内海という特殊な海

 試しに、日本地図を見ないで、日本列島を描いてみると面白い。普段どれだけ地理に無頓着か、大切な地形を見落としているか、はっきりと分かる。

 たとえば、本州島と九州島の間に横たわる関門海峡が、あまりに狭いことや、九州の西側の多島海も、見落としがちだ。

 そしてもう一か所、「こんな地形していたのか」と、驚かされるのが、瀬戸内海だ。本州島と四国と、淡路島を描いて、ほとんどの人が筆をおいてしまうだろう。特に、関東の人間は、瀬戸内海に浮かぶ無数の島々を、つい忘れがちだ。

「島といっても、小さい点のようなものが、無数に散らばっているのでしょう?」

 と、いわれるかもしれない。ならば、地図を開いてみることだ。

 まず、尾道を探してみよう。

 尾道といえば、坂の街で有名だが、目の前を狭い、窮屈な小川のような海峡が流れる。現地にたたずめば、向こうの陸地が本当は島であるとは気付かない。その島が向島で、人が渡るための橋はない。渡し船の御世話になる。「しまなみ海道」を自転車で横断するにも、まずこの海峡をハシケ(平底の船舶)で横断するところから始まる。

 古くは、この小川のような海峡が、天然の良港として活用されていたのだ。

 ここから四国まで、大きな島、小さな島が、数珠つなぎになっていて、その上を高速道路が突っ切っている。これが「しまなみ海道」だ。

 地図を改めて見やれば、瀬戸内海の海域を、ところせましと、島々が埋め尽くしている。「海」は、申しわけ程度に、島の脇をすり抜けているといった方が正確だ。しまなみ海道一帯は、陸地の間を海がすり抜けているのだ。瀬戸内海と外海をつなぐ関門海峡や豊予(ほうよ)海峡(速吸瀬戸(はやすいのせと)。呼称からして、潮の流れが速いことが分かる)、鳴門(なると)海峡は、「たしかに狭い海域なのだろう」と、察しはつくが、瀬戸内海の内海にも、それ以上に狭い海域があったことは、驚きなのだ。

 ちなみに、鳴門のうずしおは、潮が狭い海峡を通過するために発生するのだが、西側の果ての海峡が広ければ、これほどの流れが生まれるかどうか、分からないと思う。瀬戸内海全体が、「海峡に囲まれている」ところがミソなのだ。

▲しまなみ海道 写真:関裕二

 それにしても、日本の神様は、いたずら好きで、豊予海峡など、本当ならもっと広い海だったはずなのに、佐田岬(さだみさき)半島という、ひょろひょろと長い土地を用意して、瀬戸内海の「機密性」を保っている。また、九州側も、佐賀関(さがのせき)半島が佐田岬半島と握手をしたがっているように伸びている。不思議な地形なのだ。地誌地学的にいえば、「構造線が走っている」ということになろうが、だからといって、「瀬戸内海が誕生した奇跡」は、やはり神様のいたずらとしか思えないのである。

 そして、内海の多島海も、大きな意味を持っている。上空から見ても、「塩が流れる場所が狭くなっているから、圧がかかって、潮の流れはさらに速くなるだろう」と、察しがつくが、潮の満ち引きの際、海底の地形も、大きく影響してくる。真っ平らな海底と比べて、島を構成するさまざまな地形が、潮の流れを複雑にし、速度を高める働きをする。

 瀬戸内海の魚がうまいのは、潮の流れが速く、筋肉質だからだ。関サバ、関アジといえば、豊予海峡でとれたサバやアジで、大分市の佐賀関に水揚げされる。明石(あかし)の鯛や、しまなみ海道周辺のタコも、絶品だ。岡山、広島など瀬戸内海沿岸の街なら、どこでも魚は美味しい。

▲海峡に囲まれている・瀬戸内
(国土地理院・色別標高図を基に作成)

 また、吉備の発展は、瀬戸内海航路のほぼ真ん中に位置していたことも大きな理由のひとつだ。潮の満ち引きが、吉備のあたりで分かれる。満ち潮と引き潮の接点が吉備で、航海する船は、必ずここで潮待ちをしなければならない。

『地形で読み解く古代史』より構成)

明日は瀬戸内海と河内王朝の謎シリーズ②「瀬戸内の海賊!?村上水軍と大山祇神」です。