田中角栄はなぜ中国に光を当てたのか――。 「永田町のなまず」平野貞夫は、中国と角栄の郷里・新潟との共通性を指摘する。以下、氏の新刊『角栄———凄みと弱さの実像』より紹介したい。

なぜ首相として最初の外交が中国だったのか

 

 戦後の混乱の中、首相にまで上り詰めた角栄が、一番最初に取り組んで大成功を収めたのが、周恩来(1898〜1976)と直接交渉し、1972(昭和47)年9月29日に日中共同声明で公表された「日中国交正常化」でした。7月5日の総裁選からわずか3か月弱で達成された歴史的な偉業でした。

 ところで、なぜ中国だったのでしょうか。これは私の説で人に言ってもあまり理解してもらえないのですが、角栄は新潟という政治の光の当たらない《裏日本》に政治の光を当てることを自らの政治信条とした政治家でした。これは角栄の外交政策でも同じことを目指したと言えるのではないかと思います。 

 中国は日本の幕末時代から欧米諸国に収奪された国です。新潟が太平洋ベルトの先に開発が進んだ土地から収奪されたように、中国も欧米先進国の植民地にされるだけでなく、隣国アジアの日本《表アジア》からも収奪されたのです。地球儀で中国を見れば、新潟と同じような〝裏側《裏アジア》〞の土地だったという考え方です。

 角さんならそういう考え方をしたのではないかという、私の期待も含んだ考えですが、客観的な事実として、そこには当時の世界情勢からの政治的判断がありました。

 まず、角栄は首相を目指すにあたって、72(昭和47)年6月23日に、「国民への提言」(私の十大基本政策)というものを出しています。その2番目として、
「憲法9条を対外政策の根幹にし、中華人民共和国との国交回復をすみやかに実現し、アジアと世界の平和に貢献する」

 とあります。当然、急にやろうと思ってできる話ではないので、首相になる前から準備していたわけです。そしてそれは、吉田茂がレールを敷き、池田勇人、佐藤栄作に引き継がれた自民党の保守本流の国際協調路線の流れでもあったわけです。佐藤は岸信介の実弟でタカ派の色も付いていましたが、総合すると「吉田路線」の中にいました。

 そこには戦後に吉田が敷いたレールがあったわけです。吉田が経済優先で軽武装の路線を敷いて、池田が「所得倍増計画」でこの経済優先を引き継いだ。そして佐藤は日韓国交回復や沖縄返還問題で戦後処理を急いだわけ です。簡単に言えばハト派の流れですね。

 国体というものにこだわって、改憲や軍備にこだわったのは、岸信介や中曽根康弘の系譜(タカ派)ですが、戦後の自民党政権の《本流》は吉田のラインで多くが継承されてきました。となれば、角栄の中国との国交回復は自然な流れというものです。角栄の場合、満州に従軍しましたが、戦闘には関わっていなかったという点も、心理的には中国と向き合いやすかったはずです。

 ただ、当時の日本は外務省も自民党内も親台湾派が多数派でした。吉田政権時も、中国国内の内戦で毛沢東(1893〜1976)率いる共産党に負けて台湾に逃れた蒋介石(1887〜1975)が、日本軍の帰還を許して賠償も求めなかった恩義に報いる形で、52(昭和27)年台湾の国民政府と日華平和条約を結んでいました。また、冷戦下の「反共」の時代でしたから、岸信介や佐藤栄作らは台湾を訪問していますし、佐藤が果たした71(昭和46)年6月17日に調印された「沖縄返還協定」でも、ニクソン(1913〜94)との共同声
明で「韓国・台湾条項」を盛り込んで、両国の安全が日本の安全にとっても重要としています(72﹇昭和47﹈年5月15日沖縄返還)。

 もちろん、日本に亡命して日本と所縁の深い孫文(1866〜1925)の流れを汲んだメンバーがいて、中国との水面下での橋渡しに尽力する動きが水面下ではありました。

 それと一番の大前提として、71(昭和46)年にアメリカ国務長官のキッシンジャー(1923〜)が極秘裏に中国を訪問して翌72年2月にニクソンの中国訪問という、第1次ニクソン・ショックがあったことは言うまでもありません。

 台湾を正統政府として扱ってきた日本は梯子を外されていたわけです。この流れに遅れるわけにはいきませんでした。

 ニクソンが北京を訪問して米中共同声明を発表するのをテレビで見ていた角栄はこう漏らしたと佐藤昭の『日記』に書かれています。
「ニクソンもやるもんだなあ。中国は十億もの人間がいる隣国なのだから、いずれ日本も国交回復を考えなくてはいかん」

 また、金とドルの交換を一時停止し、輸入品に10%の課徴金をかけるなどの経済政策を発表した、第2次ニクソン・ショックも佐藤栄作政権をあざ笑うがごとく翻弄しました。

 その佐藤の後を受けた角栄としては、中国は「自分の時代の到来」を示す上で格好の外交交渉の相手でもあったのです。

(『角栄———凄みと弱さの実像』より構成)