小島祐馬著/呉智英解説『中国思想史』は4月25日に書店、アマゾン等で発売。※写真をクリックするとアマゾンに飛びます。

 京大名誉教授で「中国学」の泰斗、小島祐馬没後50周年記念として、小島の代表的著作にして〝幻の名著〟が復刊する。その意味とはなにか。

「人間は善なのか、悪なのか?」

 これは中国思想史において底流をなす大きな問いであり、さらに、混迷する現代社会で問い直されるべきテーマのひとつである。

「人間と社会の関係」を通して形成されてきた人間の「思考の原型」を、「思考の潮流」を、中国思想を通して明らかにしたのが小島祐馬著『中国思想史』である。

 これまでも再三この名著の素晴らしさを言及してきた評論家・呉智英氏に、復刊にあたり解説を寄稿していただいた。その本文原稿の一部を抜粋し、本書の魅力を伝える。

 

解説     概説書の名著     呉 智英

 

 私は本書『中国思想史』によって概説書の名著というものがあると知った。一九八五年頃のことで、私は三十代の終わりであった。

 行きつけの図書館の開架式書棚に本書を見かけ、手に取ってはみたものの、『中国思想史』というごく当り前の書名が魅力に欠けるように思えたし、A五判という大判にもかかわらず活字も大きめで文字数も少なく、読むほどのこともあるまいと、たかをくくっていた。浅慮としか言いようがない。

 それでも、書棚にあった本書が目についたのは、同じ小島祐馬の『中国の革命思想』(一九六七年、筑摩叢書版)、『中国の社会思想』(一九六七年、筑摩書房)は読んでいたからである。この二冊は「革命」「社会」に力点が感じられて一読し、その学識の深さに感銘を覚えた。

 図書館に行く度に書棚の前を何回か行き来し、やはり読んでみようと思って借り出した。そして、読み進むうちに、これはすばらしい名著だと確信した。一週間ほどかけて読み終わるや、是非とも手元に置いておきたいと、書店で注文した。しかし、数日後、版元の創文社で在庫切れ、重版未定であると知らされた。

(中略)

 先に本書が概説書の名著であると述べた。人はややもすると概説書を軽く見がちだし、軽く見られるのも当然なような概説書がほとんどである。しかし、本書は本当に名著である。そして、このことは、混迷する知の状況への問いかけをも意味している。

 ほんの二、三十ページも読めば分かる通り、本書は内容の水準を少しも落としていない。極めて高度でありながら煩雑ではない。読む者に迎合しておらず、といって初学者を眼中に入れていないわけではない。まことにバランスがよい。

 これは本書の成立にかかわる。「あとがき」にあるように、小島祐馬が還暦を迎えて京都大学を定年退官するに際し、小島のそれまでの講義を高弟である研究者たちがまとめたものである。もちろん、世に横行する安易な口述筆記などとは違い、小島自身それに存分に手を入れたし、中心になった二人の高弟森三樹三郎、平岡武夫もまた一流の研究者であった。本書はいわば、小島が高弟を相手にしたゼミに、読者が臨席するようなものである。小島の学識を高弟たちが理解し吸収する過程を、読者も味わうことができる。こういう学問の教授・教育がありうるし、またそれを執筆者、出版人は学ばなければなるまい。

 しかし、本書が概説書の名著であるのは、そういった形式面に止まらない。小島祐馬の人柄、見識、また、小島の学問形成期の状況もあるだろう。

 二〇一四年、岡村敬二『小島祐馬の生涯』(臨川選書)という詳細な評伝が出た。小島は左翼思想を信奉していないにもかかわらず戦前期に河上肇と深く交わり、京都大学退官後は、文部大臣就任や郷里の高知県知事・高知大学長にとの要請も断って、郷里の老父を養いながら農作業と学問に励んだ。同書に、戦後ほどなく書いた原稿の末尾に「「支那」の字を「中国」「シナ」に書きかへないで下さい」とあった、と述べられている。「支那」を「中国」と書き換えさせる占領下の不合理な政治的圧力への抵抗だったのだろう。ただ、後には本書がそうであるように小島は「中国」も使うようになった。おそらく、要らぬ摩擦に煩わされたくなかったのだろう。ともあれ、剛毅、真摯な人柄は誰もが認めるところであった。

(中略)

 小島祐馬は世俗の栄達をあえて望まず、むしろそれを峻拒し、帰郷して老父に仕え、若い頃に収入のほとんどを注ぎ込んで買い求めた万巻の書物を読んだ。かつての支那の賢者のようである。しかし、そのようではあるが、学問の内容が違う。こうした賢者、あるいは賢者もどきの学問は、その内容は一種の神学的イデオロギーである。こういう人たちの書くものは、要するに信仰告白である。しかし、今、我々は、そんなイデオロギーをそのまま信仰することはできない。明治以後、西洋の学問が流れ込み、否応なく我々はその思考の中にある。一旦その西洋の論理を経由して支那思想を理解しなければならない。前記『小島祐馬の生涯』によれば、小島は第五高等学校時代、王陽明の『伝習録』を日課のように読んだ。「修養のための読書」としてである。しかし、小島は五高卒業後、京都帝大の文学部ではなく法学部に進んでいる。そこを卒業後、文学部へ再入学し支那哲学を学ぶ。要するに、西洋的な政治思想を知った上で支那思想を学んだ、ということになる。これがまた本書を概説書の名著にしている。支那思想信仰者による概説ではなく、外部の思想によって消化した支那思想史だからである。

(中略)

 本書に啓発されたところはいくつもあるが、一箇所だけここに挙げておこう。前期第六章の終りに

近いところだ。

「儒家思想の中心点は、道徳的階級制度ともいうべきものである」(二二四ページ)

 私はこんなにも簡潔で魅力的な儒教論を知らない。「道徳的階級制度」という言葉は、すべて平易な語の組み合せながら、政治というものを根源的に見つめる視点を提示する。続いてこうある。

「何時の時代においても、自己自身を道徳家なりと認めることは、何人にも最も容易なことである」

 政治の道徳からの分離は、丸山真男の『日本政治思想研究』の主題である、というよりも、近代政治思想の要である。しかし、それでも人は道徳による政治を求める。かの共産主義もまた実は道徳的政治思想であり、しかも、あまりにも不道徳な政治を現出した。これはまた、ニーチェやオルテガの近代社会批判にも通じるだろう。道徳に顔を背け、道徳を脱却したはずの人々も、実は内心で「自己自身のみは道徳家なり」と「容易に」認めているのである。

 碩学の著で支那思想を通覧することによって、個々の事実以上のものが見えてくる。概説著の名著と呼ぶにふさわしいと思う。

 

◉小島祐馬の略歴について

小島祐馬(おじま・すけま)

一八八一年、高知県吾川郡春野町(現・高知市)に生まれる。旧制第五高等学校(熊本)から京都帝国大学法科大学、同文科大学哲学科を卒業。中学校の教師から同志社大学法学部教授、京都大学文学部教授を歴任。京大総長就任も待望されたが定年退官を機に、生まれ故郷の土佐に戻り老父を養いながら晴耕雨読の隠棲生活をおくる。終戦後間もないころ、吉田茂首相の意を受けた文部次官に文部大臣就任を請われるも「わしは、麦を作らんならん。そんな事をしているひまは、無い」の一言で断る。痛快で剛毅な小島祐馬は、多くの俊才を育て一九六六年に八十五歳の生涯を閉じた。中国思想研究者、森三樹三郎、平岡武夫が高弟にいる。自宅を埋め尽くすほどの万巻の蔵書は、高知大学に寄贈され「小島文庫」として遺されている。主著『古代中国研究』、『中国の革命思想』、『中国の社会思想』(以上筑摩書房)、『中江兆民』(弘文堂アテネ文庫)など。(文責:書籍編集部)