ナショナリズムの勝利というべきアメリカのトランプ現象、そこには「リベラリズム」の後退があった。新刊『日本人にリベラリズムは必要ない。』を上梓した、田中英道氏が昨今の世界情勢を読み解くキーワード「リベラル」を、その語義から解きほぐす。

「経済破壊」から「文化破壊」へシフト

 リベラルとはつまり、プロレタリアート(、、、、、、、、)革命(、、)()限って(、、、、)は方法としてあきらめたに過ぎない「革命家」のことを言います。依然、その理想は「共産主義」であり、その手前の段階としての、資本主義下での「社会主義」を、今より良い社会体制だと考えます。

 マルクス主義は、「共産主義は資本主義の矛盾から起こる必然的な経済体制の破壊行動つまり革命で実現する」と考えます。しかし、ソ連崩壊という事実はもちろん、資本主義が最も進んでいるといわれるイギリスにおいてさえプロレタリアート革命が起こる気配がないことでも、理論として破綻しています。そこで隠れマルクス主義者であるリベラルは、革命に至るための変革対象あるいは破壊対象としては、経済を見放すことにしました。

 リベラルは経済の替わりになる破壊対象を模索しました。そして目をつけたものこそ、「文化」でした。フェミニズム、ジェンダー・フリー、カルチュラル・スタディーズ、多文化主義などを通して、リベラルが伝統に対して否定的な立場をとり、伝統の破壊に走るのはこれが理由です。

 同時に、保守勢力がいくらマルクス主義を批判したところでリベラルに届かない理由もここにあります。文字通りのマルクス主義は、すでにリベラル自らの手で無効化されているのですから当然です。

 私はここには、保守勢力のほうに大いに反省すべき点があると思います。文化が政治的にどんな役割を果たすかということはわかっていても、「文化とは何か」ということ自体がわかっていません。保守勢力の中にさえ、日教組の教育を受けたからでしょうが、「いまさら『万葉集』もないだろう」と考えている人がいます。読み返して熟読し、「自分を先祖返りさせて伝統の確認をしよう」という気持ちもあまりありません。

 したがって、リベラルに文化批判を仕掛けられても、反論のすべなくお手上げの状態になってしまうのです。また、リベラルが文化に対する批判を意図的に集中してやってきた意味を理解できずにきたために、今や修復不可能と思われるほどに、伝統と文化は破壊されてしまいました。

 以前は保守系の雑誌には学者・研究者による固い論文が掲載され、日本の文化がしっかり語られていましたが、それも少なくなってきています。伝統と文化の復活を強く認識するということがなくなり、いつのまにかすべてが「文化革命」状態になっているのです。

 

2016年のドナルド・トランプの大統領選当選、同年の「BREXIT」と呼ばれるイギリスのEU脱退問題は、実にこういったことを背景としています。また、マスコミが盛んにゴルフ外交と報じた2017年2月の安倍晋三首相に対するトランプ大統領の厚遇も無関係ではありません。

 ようやく、国際社会はリベラルに「NO」と言い始めたのです。

(『日本人にリベラリズムは必要ない。』より構成)