「いまを生きる」ということは、「今日が自分の最期の日になるかもしれない」と思って生きるということです。そうすることで、今日という日を、自分の人生の中で最善の一日にすることができるでしょう。(本文より)日本仏教に魅せられたドイツ人禅僧、ネルケ無方の新刊『今日を死ぬことで、明日を生きる』より、珠玉のエッセイを紹介。生きるヒントが必ず見つかります。

安楽死について

 2014年、末期の脳腫瘍(のうしゅよう)で余命半年と診断され、安楽死(あんらくし)をしたアメリカの女性がいました。

 医師から処方された薬を飲み、自ら死を選んだわけですが、世界に衝撃を与えました。

 安楽死を認めていない国も多く、認めているのはヨーロッパではスイス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクの4カ国、アメリカではオレゴン州など4つの州のみ。

 日本でも安楽死は法律上では認められていません。

 このアメリカの女性だけに限らず、人は誰でも死んでいくときの痛みや苦しみから逃れたいと思うものです。「もし寝たきりになったら、安楽死を選びたい」と思う人も多いでしょう。

 仏教的に考えると、死をそのまま受け入れるのが一番の安楽です。ですから痛みもそのまま受け入れることがよいとされています。

ネルケ無方 撮影:さとうわたる

 名僧の良寛さんは、「災難にあう時節には、災難にあうがよく候そうろう。死ぬる時節には、死ぬがよく候。これはこれ、災難を逃るる妙法にて候」と言っています。

 災難にあったときは慌てず騒がず災難を受け入れ、死ぬときがきたら静かに死を受け入れる、それが一番の安楽だという意味です。

 安楽死は、痛みを否定しようとする思いからきていますから、すでに安楽ではありません。つまり仏教の立場では、苦しみから逃がれるために、薬を飲んで死ぬというのは安楽と言いません。

 自ら死期を早め、安楽死をするというのは、ちょっと安易すぎるのではないでしょうか。

 実際に私が末期がんになり、ものすごい痛みを感じるときは、痛み止めを欲するかもしれませんが、安楽死は選択しないつもりです。

死んでいくことを
じっくり見つめる。
それが一番、安楽な死。

(『今日を死ぬことで、明日を生きる』より構成)

次回は『「死後の世界」はわからなくてもよい』④です。