<第83回>

8月×日

【事件はたいてい喫煙所で起きている】

 

事件はたいてい、喫煙所で起こる。

これは僕の持論なのだが、喫煙所にいる人間とは、油断している。

仕事の緊張から一瞬だけ解き放たれ、紫煙にまみれて休憩をする。束の間のリラックスタイムの中で人は、おもいっきり、忘我の境地に身を置く。

駅前の喫煙所では、呆けた顔で煙を口からぼや~っと昇らせているサラリーマンたちが、いつでも見受けられる。その姿は「魂でも吐き出しているのか」といった趣で、たとえその瞬間にシャツの袖から潜り込んできたコクワガタが乳首を噛んだとしても、たぶん30秒くらい経たないと事態に気づけないのではないかというくらいの、油断っぷりである。

ひとりでタバコを吸っている人も油断しているが、友人とタバコを吸っている人もまた、油断している。

たくさんの見知らぬ喫煙者に囲まれているにも関わらず、「どうせ他の人たちとは一期一会」とでも割り切っているのか、周囲の耳など一切気にせず、けっこうヘビーな会話を展開している二人組が喫煙所にはよくいる。

で、こういった状況ではドラマが起こりやすい。

たとえば僕はいままで喫煙所でこんなドラマチックな人物たちを目撃してきた。

実は来週からマグロ漁船に乗ることになった旨を友人に伝えている灰色の目をした男。

さっきまで朗らかに会話をしていたのに「で、さあ。あんた、あたしの旦那と浮気しているでしょ?」と突然目の前の友だちに切りだす女性。

「最近、肩こりがひどくてさあ」「わかるわかる、オレもだよー」「たぶんこれ、低級動物霊の仕業だと思うんだよねー」「わかるわかる、オレも憑かれてるもーん」と、非常に独特な共感会話を展開するサラリーマン二人組。

周りの耳を一切気にしないで某有名漫画家との情事を大声で友人に自慢する病気チックな女性(たぶんあれを耳にしていた他の喫煙者たちは僕と同じく一斉に手元のスマホでその漫画家の名前を検索したと思う)。

喫煙所で目撃したドラマには、枚挙にいとまがない。

これは僕の友人が遭遇した喫煙所のドラマの話。

その友人は、冬のパチンコ屋の前の喫煙所でタバコの煙を燻らせていた。

するとそこに、いかにも「闇金ウシジマくん」といった感じの二人組が現れた。

その鈍色の二人組は、僕の友人が目の前にいるにも関わらず、とてもここでは書けないようなヘビーな犯罪の相談を始めたという。

「大丈夫、証拠は残らないから…」

「そうだよな、東京湾って、広いもんな…」

友人は「え!」と驚いた。なんで赤の他人の前で、こんなにもイリーガルな話ができるんだ?!

そして、気がついた。友人はその時、防寒用の耳当てをしていたのだ。おそらくその二人組はその耳当てを「ヘッドフォン」だと勘違い、音楽を聴いているからきっとこの会話など聞かれないだろうと高を括っていたのであった。

友人は、そのブラックな事情に巻き込まれないよう、耳当てをしたまま必死で身体を揺らして、爆音で音楽を聴いているふりをしたという。

喫煙所の油断というのは、このように凄まじいものがある。

僕はもう「ド」が付くほどのヘビースモーカーなのだが、嫌煙・禁煙が強く叫ばれる現世の中で半ば意固地になっていまだにタバコを吸い続けているのは、こうした喫煙所で巻き起こる「油断のドラマ」をできるだけ聞き逃したくないからなのかもしれない。

さて、今日。

僕は制作として携わっている舞台の稽古場にいた。

休憩の時間となり、稽古場の玄関口にある喫煙所へとタバコを吸いに出た。

すると、女性二人組の先客がすでにそこにいた。

「…あたしは、そう思うけど」

「…うん」

なんの会話をしているのだろうか。

齢にしてどちらも40歳半ばといった感じ。やけに化粧が濃く、着ている服も目に痛いほどの鮮やかさ。一瞬フィリピンかどこかの方かと思ったが、口調から察するに日本人のようだった。

ひとりはベランダに置いてある雨ざらしのクロックスに無理やり化粧を施したような顔で、もうひとりは青森県の地形が厚化粧をしているような顔をしていた。そして、二人とも、なんだか沈鬱な表情をしていた。

僕はタバコを吸いながら、何気なしにその二人組の会話をぼんやりと耳に入れていた。

「…あのさあ」

雨ざらしのクロックスが口を開いた。

「なんで、あんたは、ありがとうを言わないの?」

「…うん」

どうやらクロックスは、青森県に対して、なにか説教をしているらしい。

「今回のこともそうだよ、あんたがありがとうを一言でも言えば、それで済んだ話じゃん?」

「…うん」

青森県は、地面に目を落としながら、クロックスの説教を静かに聞いている。

なんとも言えない、気苦しい間が広がる。僕は動けなくなり、二本目のタバコに火をつける。

「…ありがとうって言葉は、大事なんだよ」

クロックスが、再び口を開く。

「この地球は、ありがとうで出来ているんだよ」

え!?

突然に飛び出た、なんともドラマチックなセリフ。この地球は、マグマやマントルや玄武岩などで出来ているのではなく、ありがとうで出来ている!?

僕は、ここに新たな喫煙所ドラマが巻き起こることを確信した。

そして、ここから怒涛の名ゼリフが、クロックスの口によって誕生する。

「人生は、ありがとうの連続なんだよ」

Oh!すごい!

「ありがとうで始まって、ありがとうで終わるのが、命なんだよ」

Yeah!最高!

「あたしは寝ている時だって、ありがとうって、思っているよ」

Wow!誰にだ!

そんな色即是空なクロックスの名言を、青森県はただ「…うん…うん」と頷いて受けるばかり。

そして、ここからドラマは加速する。ついにクロックスは、青森県に対して声を荒げ出したのだ。

「いい加減にしなよ!」

クロックスの目が血走る。

「いまだって、あんた、ありがとうがなかったじゃん!」

ええ~…?

「あたしの話に、うんうんって、頷いてばかりで、いちどもありがとうがなかったじゃん!」

説教ごとに対して、いちいち「ありがとう」で相槌するなんて、狂い人かなにかだと思うのだが、しかしクロックスの勢いは止まらない。

「ありがとうって言いなよ!気がついたら、すぐにありがとうって言うんだよ!」

「…うん」

「ほら、また言ってない!」

もはや事態はよくわからないことになってきた。

僕は三本目のタバコに火をつけた。

「…あたし、ずっと待ってたんだよ」

クロックスのトーンが、急に下がった。

「今日の今日まで、あなたがあたしにありがとうって言ってくるのを、ずっと待ってたんだよ…」

クロックスの目に、涙のようなものが浮かんだ。

僕もふいに、ぐっと胸に迫るものを感じた。

「一年間も、待ってたんだから…」

いや、待ちすぎだろう。

そして青森県、どんだけありがとうって言わないんだ。

「あんたがありがとうって言うのを、一年間も、待ってたんだから…」

またしても、間が広がった。

僕と彼女たちの指先のタバコ、そのだらしのない煙が、辺りを包む。

すると、青森県が、沈黙を破った。

「…ありがとう」

 

稽古場に戻って、「人生はありがとうの連続」で検索した。

同じ文言は一件もヒットしなかったので、「人生はありがとうの連続」は、クロックスに著作権のあるセリフとする。使用したい場合は、都内某所の稽古場前の喫煙所にいるかもしれない彼女まで、申請願いたい。

申請の際は「ありがとう」を、忘れずに。

 

 

*本連載は、隔週水曜日に更新予定です。お楽しみに!

*本連載に関するご意見・ご要望は「kkbest.books■gmail.com」までお送りください(■を@に変えてください)