まだ立て直しの時間は
十分に残されているが…

 劇的な逆転優勝の代償はあまりにも大きかった。当初は途中出場も示唆していた春巡業も結局は全休した。角界最上位となる東の正横綱に座した稀勢の里は、番付発表会見で5月場所の出場について問われると「まあ、大丈夫じゃないですか。巡業に出られなかった分、本場所でいい相撲を見せたいと思います」と言い切った。


 巡業の休場中は部屋で徹底しておもに下半身強化に努め「自分の体と向き合えた。充実した1カ月だった。下半身だけなら明日からでもいけそう」と孤独な稽古の成果を強調した。


 前向き発言がポンポンと飛び出した会見ではあったが、ついぞ出場を明言することはなかった。出場か否かは場所前の稽古内容で判断するという腹づもりだったのだろう。


 稽古総見は欠席し、当初は部屋の若い衆を相手に独自調整。負傷後、初めて関取衆と肌を合わせたのが初日8日前の5月6日。九重部屋への出稽古だった。千代皇、千代大龍とそれぞれ8番ずつ、計16番を取ったが、最大の武器である左おっつけは見られず、立ち合いで右上手を取り、左は差しにいく内容に終始した。


「いろいろやってみようと思った」と稽古の狙いを語るとともに「徐々に(左は)力が入っている。最初にしてはいい感じ」と手応えも口にした。この日から5日連続で出稽古に出向くも、稽古相手に指名したのは平幕や十両力士。出稽古4日目にしてようやく元大関琴奨菊との三番稽古にこぎ着け、翌日の時津風部屋での稽古では左からおっつける場面も見受けられた。取組編成会議前日の11日、師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)を通じて、ようやく出場を明言。出るからには横綱としての責任もつきまとう。優勝争いに絡むほどの結果は残せると踏んでの決断だったに違いない。


「しっかり調整できたのでやるだけ」初日前日には短い言葉に決意を込めた。
 果たして、初日の土俵は左胸から上腕にかけての大きなテーピングは欠かすことができなかった。嘉風に負傷した左をおっつけられ、いいところなく黒星を喫した。取組後の支度部屋、いつもなら眉間にしわを寄せたまま、無言を貫くことも珍しくないが、この日の表情はいたって穏やかでいつになく多弁だった。


「悪くはなかったけど、相手が強いから負けたんじゃないですか。相手が上回っていた。我慢できれば、よかったんだけどね」


 笑みさえ浮かべたのは気持ちの余裕の表れか、それとも不安を悟られまいと装っているのか。翌2日目の隠岐の海戦は得意の左おっつけも見せて白星。「問題ないと思います」と患部の左についてそう語った。いずれにしても場所はまだ始まったばかり。立て直す時間も十分残されている。